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テレパシー
テレパシー
作品ID49209
著者水野 葉舟
文字遣い新字新仮名
底本 「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」 ちくま文庫、筑摩書房
2007(平成19)年7月10日
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-10-23 / 2014-09-21
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 怪談の中でも、人間が死ぬ断末魔の刹那に遠く離れて居る、親しい者へ、知らせるというのは、決して怪談というべき類では無かろうと思う、これは立派な精神的作用で、矢張一種のテレパシーなのだ。
 私の知ってる女で、好んで心理学の書を読んでいた人があったが、その女の談に、或時、その女が自分の親友と二人遠く離れて居て、二人の相互の感情が通うものか、如何か、一つ実験をしようと、前以て約束をして、それから後、お互に憶出した時、その月日と時刻とを記しておいて、後になって、それを互に合してみると、その中の十中の六までは、その相互の感情が、ひったり一致をしていたそうだ。元来女の性質は単純な物事に信じ易いものだから、尚更こういうことが、著るしく現われるかもしれぬ。それが為めか、かの市巫といったものは如何も昔から女の方が多いようだ。
 また曾て、或老僧の幽霊観を聞いた事があったが、それは、人がもし死ぬという瞬間には、その人の過去に経て来た、一生涯の光景が、必ずその人自身の眼先に見えるものだと、いっていたが、丁度これと同様な話を、その後にまたある知己からも聞いた事があった。それは、その人が 或る[#「 或る」はママ]闇夜に道を歩いていて、突然知らずに、高い土手の上から辷り落ちたそうだが、その際土手を辷り落ちて行く瞬間に、矢張その人自身の過去の光景が、眼に映ったといっていた。そして尚老僧のいうのには、その場合その人自身の頭脳に、何か一つ残るものがあって、それは各人に依って異るが、もしも愛着心の強い人ならば、それが残ろうし、恨悔しい念があったらば、怨霊という様なものが残るので、それにその人自身の全勢力が集注して、或場合に於て、必ずこの世に現れるものだといっていたが、この事は或程度に於て、信じられそうな説だと思う。元来僧侶というものは、こんな事を平気で、談すので、或僧の談によると、所謂寺の亡者が知らせに来る場合には、必ずその人の生前の性質が現れる、例えば気の荒い人だったらば、鉦の叩き様が頗る荒っぽいそうだし、温和な人ならば、至極静かに知らせるといっていたが、それは兎に角何れの僧侶に訊ねても、この寺へ知らせに来るというのは、真実のものらしい。要するに、是等のことは、凡てまだその人が活きている時の、精神的感応であるから、決して怪談ではなかろうというのである。
 議論は兎に角として、私もこの方向には、頗る興味を持っている。否近頃では、それ以上で、実は熱心に一つ研究をしてみようかと考えているくらいだ。しかし幸か不幸か、まだ自分には、まるで実見がないが、色々他人から聴いたのを、少し談してみよう。
 東北地方は一躰は関西地方や四国九州の辺と異って、何だか薄暗い、如何にも幽霊が出そうな地方だが、私がこの夏行った、陸中国遠野郷の近辺も、一般に昔からの伝説などが多くあるところだ。此処で聞いた談に、或時その近在…

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