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当流比較言語学
とうりゅうひかくげんごがく
著者
文字遣い旧字旧仮名
底本 「鴎外全集 第二十六卷」 岩波書店
1973(昭和48)年12月22日
初出「東亞の光 第四卷第七號」1909(明治42)年7月1日
入力者岩澤秀紀
校正者染川隆俊
公開 / 更新2009-11-26 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 或る國民には或る詞が闕けてゐる。
 何故闕けてゐるかと思つて、よく/\考へて見ると、それは或る感情が闕けてゐるからである。
 手近い處で言つて見ると、獨逸語に Streber といふ詞がある。動詞の streben は素と體で無理な運動をするやうな心持の語であつたさうだ。それからもがくやうな心持の語になつた。今では總て抗抵を排して前進する義になつてゐる。努力するのである。勉強するのである。隨て Streber は努力家である。勉強家である。抗抵を排して前進する。努力する。勉強する。こんな結構な事は無い。努力せよといふ漢語も、勉強し給へといふ俗語も、學問や何か、總て善い事を人に勸めるときに用ゐられるのである。勉強家といふ詞は、學校では生徒を褒めるとき、お役所では官吏を褒めるときに用ゐられるのである。
 然るに獨逸語の Streber には嘲る意を帶びてゐる。生徒は學科に骨を折つてゐれば、ひとりでに一級の上位に居るやうになる。試驗に高點を贏ち得る。早く卒業する。併し一級の上位にゐよう、試驗に高點を貰はう、早く卒業しようと心掛ける、其心掛が主になることがある。さういふ生徒は教師の心を射るやうになる。教師に迎合するやうになる。陞進をしたがる官吏も同じ事である。其外學者としては頻に論文を書く。藝術家としては頻りに製作を出す。えらいのもえらくないのもある。Talent の有るのも無いのもある。學問界、藝術界に地位を得ようと思つて骨を折るのである。獨逸人はこんな人物を Streber といふのである。
 Moritz Heyne の字書を開けて見ると、Bismarck の手紙が引いてある。某は中尉で白髮になつてゐるのだから、Streber であるのも是非が無いといふやうな文句である。此例も明白に嘲る意を帶びてゐる。
 僕は書生をしてゐる間に、多くの Streber を仲間に持つてゐたことがある。自分が教師になつてからも、預かつてゐる生徒の中に Streber のゐたのを知つてゐる。官立學校の特待生で幅を利かしてゐる人の中には、澤山さういふのがある。
 官吏になつてからも、僕は隨分 Streber のゐるのを見受けた。上官の御覺めでたい人物にはそれが多い。祕書官的人物の中に澤山さういふのがゐる。自分が上官になつて見ると、部下に Streber の多いのに驚く。
 Streber はなまけものやいくぢなしよりはえらい。場合によつては一廉の用に立つ。併し信任は出來ない。學問藝術で言へば、こんな人物は學問藝術の爲めに學問藝術をするのでない。學問藝術を手段にしてゐる。勤務で言へば、勤務の爲めに勤務をするのでない。勤務を方便にしてゐる。いつ何どき魚を得て筌を忘れてしまふやら知れない。
 日本語に Streber に相當する詞が無い。それは日本人が Streber を卑むといふ思想を…

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