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武士を夷ということの考
ぶしをえびすということのこう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「喜田貞吉著作集 第九巻 蝦夷の研究」 平凡社
1980(昭和55)年5月25日
初出「歴史地理 第二六巻第四号、第六号」1915(大正4)年10月、12月、「歴史地理 第二七巻第一号」1916(大正5)年1月
入力者しだひろし
校正者Juki
公開 / 更新2013-05-03 / 2014-09-16
長さの目安約 35 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

一 緒言

 国史地理学上、本邦の種族調査の一部として、さきに「夷俘・俘囚の考」と「東人考」とを発表したる余輩の研究は、ここに中世において武士を夷と称したることの理由を説明すべき順序となれり。「えびす」とはいうまでもなく古史に見ゆる蝦夷、すなわち今日北海道になお約二万の遺[#挿絵]を存するアイヌ族のことなり。その住所東方にあるがゆえに、あるいはこれを東夷という。平泉中尊寺なる藤原清衡の「願文」に、「弟子者東夷之遠酋」とあるものこれなり。源頼朝、征夷大将軍に任ぜられ、幕府を鎌倉に開く。京師の[#挿絵]紳これを賤みて東夷と貶称し、さらに一般に武士のことをも「えびす」という。鎌倉・南北朝ころの日記・記録・古文書等にはなはだ多く散見するところなり。征夷大将軍はもと東夷を征する三軍に将たるものの称なり。しかしてかえってみずから東夷の称を受く。すこぶるその義に反す。幕府被管の武士は多く名家右族の後と称す、しかもその源たると、平たると、藤たると、橘たるとを問わず、ひとしく夷をもって目せらる。またきわめてその所由なきに似たり。しかるに、他より往々これを言うのみならず、時としてまたみずからこれを認むることあり。奇怪の現象たらずんばあらず。
 解すのものは曰く、東国はもと夷の地なり。ゆえにその地に起れる武家政府を賤みて、東夷と称するなりと。この解はきわめて簡単明瞭なるに似たれども、しかも事実にあらず。なるほど有史以前の時代には、東方諸国実に蝦夷の巣窟たりしなるべし。否、ただに史前時代のみならず、雄略天皇の御事なりと解せらるる倭王武の宋に遣わし給える「国書」に、祖宗以来武をもって国を立て、東「毛人を征する五十五国」とあり。また承和二年陸奥国司の「解文」に、白河・菊多の関を置きてより今に四百余歳とある文等を玩味するに、『常陸風土記』の記事等と相啓発して、有史以後においても、なおある期間は関東地方に蝦夷の蟠居せしことを認めざるべからざるなり。しかれども、奈良朝ころの人士は、早くすでにその事実を忘却したり。当時の著作なる『古事記』『日本紀』等には、景行天皇朝に日本武尊の経略し給える蝦夷の日高見国をも、当時の蝦夷蟠居の域なる北上川下流地方に擬定せるなり(拙著『読史百話』所載「日高見国と日高見川」参照)。されば、平安朝以後の人士はもちろん、鎌倉・室町ころにおいても、常に奥羽のみをもって蝦夷の本国と解したり。文治五年の鎌倉の「掟」に、「出羽・陸奥に於ては夷の地たるによりて、度々の新制にも除き訖りぬ。偏に古風を守り、更に新儀なし」とあるは、当時の実情を述べたるものなれば、必ずしも古代の証となすには足らざるものなれども、『江次第抄』が俘囚を解して、「俘囚はもと是れ王民、而して夷の為に略せられて遂に賤隷となる。故に俘囚或は夷俘といふ。其の属陸奥出羽にあり。後遷りて諸国に居る」とあるものは、明かに俘…

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