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芭蕉
ばしょう
作品ID49482
著者島崎 藤村
文字遣い旧字旧仮名
底本 「飯倉だより」 岩波文庫、岩波書店
1943(昭和18)年5月5日第1刷
入力者小川幸子
校正者小林繁雄
公開 / 更新2008-11-14 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 佛蘭西の旅に行く時、私は鞄の中に芭蕉全集を納れて持つて行つた。異郷の客舍にある間もよく取出して讀んで見た。『冬の日』、『春の日』から、『曠野』、『猿簑』を經て『炭俵』にまで到達した芭蕉の詩の境地を想像するのも樂しいことに思つた。
 昔の人の書いたもので、それを讀んだ時はひどく感心したやうなものでも、歳月を經る間には自然と忘れてしまふものが多い。その中で、折にふれては思出し、何時[#「何時」は底本では「何時」]取出して讀んで見ても飽きないのは芭蕉の書いたものだ。
『朝を思ひ、また夕を思ふべし。』
 含蓄の多い芭蕉の詩や散文が折にふれては自分の胸に浮んで來るのは、あの『朝を思ひ、また夕を思ふべし』といふやうな心持から生れて來て居るからだとは思ふが、まだその他に自分の心をひく原因がある。近頃私は少年期から青年期へ移る頃にかけて受けた感動が深い影響を人の一生に及ぼすといふことに、よく思ひ當る。丁度さうした心の柔い、感じ易い年頃に、私は芭蕉の書いたものを愛讀した。その時に受けた感化が今だに私に續いて居る。どうかすると私は、少年時代に芭蕉を愛讀したと少しも變りのないやうな、それほど固定した印象を今日の自分に見つけることもある。

 今から二十五六年ばかりも前に、私は近江から大和路の方へかけて旅したことがある。私はまだ極く若いさかりの年頃であつた。私は熱田から船で四日市へ渡り、龜山といふところに一晩泊つて、伊賀と近江の國境を歩いて越した。あれから琵琶湖の畔へ出、大津、瀬多、膳所なぞの町々を通つて西京から奈良へと通り、吉野路を旅した。私はもう一度琵琶湖の畔へ引返して石山の茶丈の一室に旅の足を休め、そこに一夏を送つたこともあつた。私は自分の郷里の木曾路の變遷を考へて見ても、何程若い時の自分の眼に映つた寂しい伊賀の山中や、吉野路の日あたりや、それから琵琶湖の畔が、その昔蕉門の詩人等の歩いた場所と違つた感じのものであるやを言ふことは出來ない。しかしあの旅も私に取つては芭蕉に對する感銘を深くさせた。

 少年時代から私の胸に描いて居た芭蕉は、一口に言へば尊い『老年』であつた。私はつい近頃まで芭蕉といふ人のことを想像する度に、非常に年とつた人のやうに思つて居た。その晩年は、人として到達し得る最後の尊い境地の一つだといふ風に考へて居た。
 こゝにも先入主となつた印象が今だに私の上に働いて居ることを感ずる。私があの湖十の編纂した芭蕉の『一葉集』を手にしたのは、まだ白金の明治學院に通つて居たほどの學生時代であつた。私が年少であればあるだけ、あの老成な紀行文なぞを書いた芭蕉が非常に年とつた人であるといふ想像を浮べずには居られなかつた。けれども是は自分が若かつた年頃に芭蕉を知つたといふばかりではなくかうした先入主となつた印象を強めるかず/″\のものが、他にもあつたと思ふ。實際三十一歳で既に髮…

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