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二階から
にかいから
作品ID49538
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本綺堂随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日
初出「木太刀」1915(大正4)年3、7、8、9月、1916(大正5)年1、4月号
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-12-29 / 2014-09-21
長さの目安約 30 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

二階からといって、眼薬をさす訳でもない。私が現在閉籠っているのは、二階の八畳と四畳の二間で、飯でも食う時のほかは滅多に下座敷などへ降りたことはない。わが家ながらあたかも間借りをしているような有様で、私の生活は殆どこの二間に限られている。で、世間を観るのでも、月を観るのでも、雪を観るのでも、花を観るのでも、すべてこの二階から観る。随って眼界は狭い。その狭い中から見出したことの二つ三つをここに書く。

一 水仙

 去年の十一月に支那水仙を一鉢買った。勿論相当に水も遣る、日にも当てる。一通りの手当は尽していたのであるが、十二月になっても更に蕾を出さない。無暗に葉が伸びるばかりである。どうも望みがないらしいと思っているところへ、K君が来た。K君は園芸の心得ある人で、この水仙を見ると首を傾げた。
「君、これはどうもむずかしいよ。恐く花は持つまい。」
 こういって、K君は笑った。私も頭を掻いて笑った。その当時K君の忰は病床に横わっていたが、病院へ入ってから少しは良いということであった。ところが、その月の中旬に寒気が俄に募ったためか、K君の忰は案外に脆く仆れてしまった。K君の忰は蕾ながらにして散ってしまったのである。私の家の水仙はその蕾さえも持たずして、空しく枯れてしまうであろうと思われた。
 年が明けた。ある暖い朝、私がふとかの水仙の鉢を覗くと、長く伸びた葉の間から、青白い袋のようなものが見えた。私は奇蹟を目撃したように驚いた。これは確に蕾である。それから毎日欠さずに注意していると、葉と葉との間からは総て蕾がめぐんで来た。それが次第に伸びて拡がって来た。もうこうなると、発育の力は実に目ざましいもので、茎はずんずんと伸てゆく。蕾は日ましに膨らんでゆく。今ではもう十数輪の白い花となって、私の書棚を彩っている。
 殆ど絶望のように思われた水仙は、案外立派に発育して、花としての使命を十分果した。K君の忰は花とならずして終った。春の寒い夕、電灯の燦たる光に対して、白く匂いやかなるこの花を見るたびに、K君の忰の魂のゆくえを思わずにはいられない。

二 団五郎

 新聞を見ると、市川団五郎が静岡で客死したとある。団五郎という一俳優の死は、劇界に何らの反響もない。少数の親戚や知己は格別、多数の人々は恐らく何の注意も払わずにこの記事を読み過したであろう。しかも私はこの記事を読んで、涙をこぼした一人である。
 団五郎と私とは知己でも何でもない。今日まで一度も交際したことはなかった。が、私の方ではこの人を記憶している。歌舞伎座の舞台開きの当時、私は父と一所に団十郎の部屋へ遊びにゆくと、丁度わたしと同年配ぐらいの美少年が団十郎の傍に控えていて、私たちに茶を出したり、団十郎の手廻りの用などを足していた。いうまでもなく団十郎の弟子である。
「綺麗な児だが、何といいます。」
 父が訊くと、団十郎は…

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