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父の墓
ちちのはか
作品ID49542
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本綺堂随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日
初出「文芸倶楽部」1902(明治35)年6月号
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-12-26 / 2014-09-21
長さの目安約 6 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 都は花落ちて、春漸く暮れなんとする四月二十日、森青く雲青く草青く、見渡すかぎり蒼茫たる青山の共同墓地に入りて、わか葉の扇骨木籬まだ新らしく、墓標の墨の痕乾きもあえぬ父の墓前に跪きぬ。父はこの月の七日、春雨さむき朝、逝水落花のあわれを示し給いて、おなじく九日の曇れる朝、季叔の墓碑と相隣れる処を長えに住むべき家と定め給いつ。数うれば早し、きょうはその二七日なり。
 初七日に詣でし折には、半破れたる白張の提灯さびしく立ちて、生花の桜の色なく萎めるを見たりしが、それもこれも今日は残なく取捨られつ、ただ白木の位牌と香炉のみありのままに据えてあり。この位牌は過ぎし九日送葬の朝、わが痩せたる手に捧げ来りてここに置据えたるもの、今や重ねてこれを見て我はそも何とかいわん、胸先ず塞がりて墓標の前に跼まれば、父が世に在りし頃親しく往来せし二、三の人、きょうも我より先に詣で来りて、山吹の黄なる一枝を手向けて去りたる所志しみじみ嬉しく、われも携え来りし紫の草花に水と涙をそそぎて捧げぬ。きのうの春雨の名残にや、父の墓標も濡れて在しき。
 父は五人兄弟の第三人にして、前後四人は已に世を去りぬ、随って我も四人の叔を失いぬ。第一の叔は遠く奥州の雪ふかき山に埋まれ給いしかば、その当時まだ幼稚き我は送葬の列に加わらざりしも、他の三人の叔は後れ先ちて、いずれもこの青山の草露しげき塚の主となり給いつ、その間に一人の叔母と一人の姪をも併せてここに葬りたれば、われは実に前後五度、泣いてこの墓地へ柩を送り来りしなり。人生漸く半を過ぎたるに、已に四人の叔に離れ、更に一人の叔母と姪を失いぬ。仏氏のいわゆる生者必滅の道理、今更おどろくは愚痴に似たれど、夜雨孤灯の下、飜って半生幾多の不幸を数え来れば、おのずから心細くうら寂しく、世に頼なく思わるる折もありき。されど、わが家には幸に老たる父母ありて存すれば、これに依って立ち、これに依って我意を強うしたるに、測らざりき今またその父に捨てられて、闇夜に灯火を失うの愁を来さむとは。悲い哉。
 風樹の嘆は何人といえども免れ難からんも、就中われに於て最も多し。父は一度われをして医師たらしめんと謀りしが、思う所ありてこれを廃し、更に書を学ばしめたるも成らず、更に画を学ばしめたるもまた成らず、果は匙を投げて我が心の向う所に任せぬ。かくて我は何の学ぶ所もなく、何の能もなく、名もなく家もなく、瓢然たる一種の道楽息子と成果てつ、家に在ては父母を養うの資力なく、世に立ては父母を顕わすの名声なし、思えば我は実に不幸の子なりき。泉下の父よ、幸に我を容せと、地に伏して瞑目合掌すること多時、頭をあぐれば一縷の線香は消えて灰となりぬ。
 低徊去るに忍びず、墓門に立尽して見るともなしに見渡せば、其処ここに散のこる遅桜の青葉がくれに白きも寂しく、あなたの草原には野を焼く烟のかげ、おぼろおぼろに低く這…

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