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正月の思い出
しょうがつのおもいで
作品ID49545
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本綺堂随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-01-10 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 ある雑誌から「正月の思い出」という質問を受けた。一年一度のお正月、若い時から色々の面白い思い出がないでもないが、最も記憶に残っているのは、お正月として甚だお目出たくない、暗い思い出であることを正直に答えなければならない。
 明治二十八年の正月、その前年の七月から日清戦争が開かれている。すなわち軍国の新年である。海陸ともに連戦連捷、旧冬の十二月九日には上野公園で東京祝捷会が盛大に挙行され、もう戦争の山も見えたというので、戦時とはいいながら歳末の東京市中は例年以上の賑わしさで、歳の市の売物も「負けた、負けた」といっては買手がないので、いずれも「勝った、買った」と呶鳴る勢いで、その勝った勝ったの戦捷気分が新年に持越して、それに屠蘇気分が加わったのであるから、去年の下半季の不景気に引きかえて、こんなに景気のよい新年は未曾有であるといわれた。
 その輝かしい初春を寂しく迎えた一家がある。それは私の叔父の家で、その当時、麹町の一番町に住んでいたが、叔父は秋のはじめからの患いで、歳末三十日の夜に世を去った。明くれば大晦日、わたしたちは柩を守って歳を送らなければならないことになったのである。こういう経験を持った人々は他に沢山あろう。しかもそれが戦捷の年であるだけに、私たちにはまた一しおの寂しさが感ぜられた。
 二、三日前に立てた門松も外してしまった。床の間に掛けてある松竹梅の掛物も取除けられた。特別に親しいところへは電報を打ったが、他へは一々通知する方法がない。大晦日に印刷所へ頼みに行っても、死亡通知の葉書などを引き受けてくれるところはない。電報を受け取って駆けつけて来た人々も大晦日では長居は出来ない、一通りの悔みを述べて早々に立去る。遺族と近親あわせて七、八人が柩の前にさびしい一夜をあかした。晴れてはいるが霜の白い夜で、お濠の雁や鴨も寒そうに鳴いていた。
 さて困ったのは、一夜明けた元旦である。近所の人はすでに知っているが、他の人々は何にも知らないので、早朝から続々年始に来る。今日と違って、年賀郵便などのない時代であるから、本人または代理の人が直接に回礼に来る。一々それに対して「実は……」と打ち明けなければならない。祝儀と悔みがごっちゃになって、来た人も迷惑、こちらも難儀、その応対には実に困った。
 二日の午前十時、青山墓地で葬儀を営むことになった。途中葬列を廃さないのがその当時の習慣であるから、私たちは番町から青山まで徒歩で送って行く。新年早々であるから、碌々に会葬者もあるまいと予期していたが、それでも近所の人々その他を合わせて五、六十人が送ってくれた。
 旧冬以来、幸いに日和つづきであったが、その日も快晴で、朝からそよとの風も吹かない。前にもいう通り、戦捷の新年である。しかもこの好天気であるから、市中の賑わいはまた格別で、表通りには年始まわりの人々が袖をつらねて往来…

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