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御堀端三題
おほりばたさんだい
作品ID49559
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本綺堂随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日
初出柳のかげ「文藝春秋」1937(昭和12)年8月、怪談「モダン日本」1936(昭和11)年9月、三宅坂「文藝春秋」1935(昭和10)年8月
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-12-29 / 2014-09-21
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

     一 柳のかげ

 海に山に、凉風に浴した思い出も色々あるが、最も忘れ得ないのは少年時代の思い出である。今日の人はもちろん知るまいが、麹町の桜田門外、地方裁判所の横手、後に府立第一中学の正門前になった所に、五、六株の大きい柳が繁っていた。
 堀ばたの柳は半蔵門から日比谷まで続いているが、ここの柳はその反対の側に立っているのである。どういうわけでこれだけの柳が路ばたに取残されていたのか知らないが、往来のまん中よりもやや南寄りに青い蔭を作っていた。その当時の堀端は頗る狭く、路幅は殆ど今日の三分の一にも過ぎなかったであろう。その狭い往来に五、六株の大樹が繁っているのであるから、邪魔といえば邪魔であるが、電車も自動車もない時代にはさのみの邪魔とも思われないばかりか、長い堀ばたを徒歩する人々に取っては、その地帯が一種のオアシスとなっていたのである。
 冬はともあれ、夏の日盛りになると、往来の人々はこの柳のかげに立寄って、大抵は一休みをする。片肌ぬいで汗を拭いている男もある。蝙蝠傘を杖にして小さい扇を使っている女もある。それらの人々を当込みに甘酒屋が荷をおろしている。小さい氷屋の車屋台が出ている。今日ではまったく見られない堀ばたの一風景であった。
 それにつづく日比谷公園は長州屋敷の跡で、俗に長州原と呼ばれ、一面の広い草原となって取残されていた。三宅坂の方面から参謀本部の下に沿って流れ落ちる大溝は、裁判所の横手から長州原の外部に続いていて、昔は河獺が出るとかいわれたそうであるが、その古い溝の石垣のあいだから鰻が釣れるので、うなぎ屋の印半纏を着た男が小さい岡持をたずさえて穴釣りをしているのをしばしば見受けた。その穴釣りの鰻屋も、この柳のかげに寄って来て甘酒などを飲んでいることもあった。岡持にはかなり大きい鰻が四、五本ぐらい蜿くっているのを、私は見た。
 そのほかには一種の軽子、いわゆる立ちン坊も四、五人ぐらいは常に集まっていた。下町から麹町四谷方面の山の手へ上るには、ここらから道路が爪先あがりになる。殊に眼の前には三宅坂がある。この坂も今よりは嶮しかった。そこで、下町から重い荷車を挽いて来た者は、ここから後押しを頼むことになる。立ちン坊はその後押しを目あてに稼ぎに出ているのであるが、距離の遠近によって二銭三銭、あるいは四銭五銭、それを一日に数回も往復するので、その当時の彼らとしては優に生活が出来たらしい。その立ちン坊もここで氷水を飲み、あま酒を飲んでいた。
 立ちン坊といっても、毎日おなじ顔が出ているのである。直ぐ傍には桜田門外の派出所もある。したがって、彼らは他の人々に対して、無作法や不穏の言動を試みることはない。ここに休んでいる人々を相手に、いつも愉快に談笑しているのである。私もこの立ちン坊君を相手にして、しばしば語ったことがある。
 私が最も多くこの柳の蔭に…

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