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磯部の若葉
いそべのわかば
作品ID49562
著者岡本 綺堂
文字遣い新字新仮名
底本 「岡本綺堂随筆集」 岩波文庫、岩波書店
2007(平成19)年10月16日
初出「木太刀」1916(大正5)年7月号
入力者川山隆
校正者noriko saito
公開 / 更新2008-12-29 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 今日もまた無数の小猫の毛を吹いたような細かい雨が、磯部の若葉を音もなしに湿らしている。家々の湯の烟も低く迷っている。疲れた人のような五月の空は、時々に薄く眼をあいて夏らしい光を微かに洩すかと思うと、またすぐに睡むそうにどんよりと暗くなる。[#挿絵]が勇ましく歌っても、雀がやかましく囀っても、上州の空は容易に夢から醒めそうもない。
「どうも困ったお天気でございます。」
 人の顔さえ見れば先ずこういうのが此頃の挨拶になってしまった。廊下や風呂場で出逢う逗留の客も、三度の膳を運んで来る旅館の女中たちも、毎日この同じ挨拶を繰返している。私も無論その一人である。東京から一つの仕事を抱えて来て、ここで毎日原稿紙にペンを走らしている私は、他の湯治客ほどに雨の日のつれづれに苦まないのであるが、それでも人の口真似をして「どうも困ります」などといっていた。実際、湯治とか保養とかいう人たちは別問題として、上州のここらは今が一年中で最も忙がしい養蚕季節で、なるべく湿れた桑の葉をお蚕様に食わせたくないと念じている。それを考えると「どうも困ります」も決して通り一遍の挨拶ではない。ここらの村や町の人たちに取っては重大の意味を有っていることになる。土地の人たちに出逢った場合には、私も真面目に「どうも困ります」ということにした。
 どう考えても、今日も晴れそうもない。傘をさして散歩に出ると、到る処の桑畑は青い波のように雨に烟っている。妙義の山も西に見えない、赤城榛名も東北に陰っている。蓑笠の人が桑を荷って忙がしそうに通る、馬が桑を重そうに積んでゆく。その桑は莚につつんであるが、柔かそうな青い葉は茹られたようにぐったりと湿れている。私はいよいよ痛切に「どうも困ります」を感じずにはいられなくなった。そうして、鉛のような雨雲を無限に送り出して来るいわゆる「上毛の三名山」なるものを呪わしく思うようになった。

 磯部には桜が多い。磯部桜といえば上州の一つの名所になっていて、春は長野や高崎前橋から、見物に来る人が多いと、土地の人は誇っている。なるほど停車場に着くと直に桜の多いのが誰の眼にも入る。路傍にも人家の庭にも、公園にも丘にも、桜の古木が枝をかわして繁っている。磯部の若葉は総て桜若葉であるといってもいい。雪で作ったような白い翅の鳩の群が沢山に飛んで来ると湯の町を一ぱいに掩っている若葉の光が生きたように青く輝いて来る。護謨ほうずきを吹くような蛙の声が四方に起ると、若葉の色が愁うるように青黒く陰って来る。
 晴の使として鳩の群が桜の若葉をくぐって飛んで来る日には、例の「どうも困ります」が暫らく取払われるのである。その使も今日は見えない。宿の二階から見あげると、妙義道につづく南の高い崖路は薄黒い若葉に埋められている。
 旅館の庭には桜のほかに青梧と槐とを多く栽えてある。痩せた梧の青い葉はまだ大きい手を…

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