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四十年前
よんじゅうねんまえ
副題――新文学の曙光――
――しんぶんがくのしょこう――
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「新編 思い出す人々」 岩波文庫、岩波書店
1994(平成6)年2月16日
初出「きのふけふ」博文館、1916(大正5)年3月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-07-26 / 2014-09-16
長さの目安約 17 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 亜米利加の排日案通過が反動団体のヤッキ運動となって、その傍杖が帝国ホテルのダンス場の剣舞隊闖入となった。ダンスに夢中になってる善男善女が刃引の鈍刀に脅かされて、ホテルのダンス場は一時暫らく閉鎖された。今では余熱が冷めてホテルのダンス場も何カ月ぶりかで再び開かれたが、さしもに流行したダンス熱は一時ほどでなくなった。一時は猫も杓子も有頂天になって、場末のカフェでさえが蓄音機のフォックストロットで夏の夕べを踊り抜き、ダンスの心得のないものは文化人らしくなかった。
 が、四十年前のいわゆる鹿鳴館時代のダンス熱はこれどころじゃなかった。尤も今ほど一般的ではなかったが、上台閣の諸公から先きへ立って浮れたのだから上流社会は忽ち風靡された。当時の欧化熱の急先鋒たる公伊藤、侯井上はその頃マダ壮齢の男盛りだったから、啻だ国家のための政策ばかりでもなくて、男女の因襲の垣を撤した欧俗社交がテンと面白くて堪らなかったのだろう。搗てて加えて渠らは貴族という条、マダ出来立ての成上りであった。一千年来の氏族政治を廃して、藤氏の長者に取って代って陪臣内閣を樹立したのは、無爵の原敬が野人内閣を組織したよりもヨリ以上世間の眼を[#挿絵]らしたもんで、この新鋭の元気で一足飛びに欧米の新文明を極東日本の蓬莱仙洲に出現しようと計画したその第一着手に、先ず欧化劇の本舞台として建設したのが即ち鹿鳴館である。今でこそ樟脳臭いお殿様の溜の間たる華族会館に相応わしい古風な建造物であるが、当時は鹿鳴館といえば倫敦巴黎の燦爛たる新文明の栄華を複現した玉の台であって、鹿鳴館の名は西欧文化の象徴として歌われたもんだ。
 当時の欧化熱の中心地は永田町で、このあたりは右も左も洋風の家屋や庭園を連接し、瀟洒な洋装をした貴婦人の二人や三人に必ず邂逅ったもんだ。ダアクの操り人形然と妙な内鰐の足どりでシャナリシャナリと蓮歩を運ぶものもあったが、中には今よりもハイカラな風をして、その頃流行った横乗りで夫婦轡を駢べて行くものもあった。このエキゾチックな貴族臭い雰囲気に浸りながら霞ガ関を下りると、その頃練兵場であった日比谷の原を隔てて鹿鳴館の白い壁からオーケストラの美くしい旋律が行人を誘って文明の微醺を与えた。今なら文部省に睨まれ教育界から顰蹙される頗る放胆な自由恋愛説が官学の中から鼓吹され、当の文部大臣の家庭に三角恋愛の破綻を生じた如き、当時の欧化熱は今どころじゃなかった。
 先年侯井上が薨去した時、侯の憶い出咄として新聞紙面を賑わしたのはこの鹿鳴館の舞踏会であった。殊に大臣大将が役者のように白粉を塗り鬘を着けて踊った前代未聞の仮装会は当時を驚かしたばかりじゃない。今聴いてさえも余り突拍子もなくて、初めて聞くものには作り咄としか思われないだろう。
 何しろ当夜の賓客は日本の運命を双肩に荷う国家の重臣や朝廷の貴紳ばかりであった。主人側…

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