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知々夫紀行
ちちぶきこう
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「山の旅 明治・大正篇」 岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年9月17日
初出「太陽」博文館、1899(明治32)年2月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-03-17 / 2014-09-21
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 八月六日、知々夫の郡へと心ざして立出ず。年月隅田の川のほとりに住めるものから、いつぞはこの川の出ずるところをも究め、武蔵禰乃乎美禰と古の人の詠みけんあたりの山々をも見んなど思いしことの数次なりしが、ある時は須田の堤の上、ある時は綾瀬の橋の央より雲はるかに遠く眺めやりし彼の秩父嶺の翠色深きが中に、明日明後日はこの身の行き徘徊りて、この心の欲しきまま林谷に嘯き傲るべしと思えば、楽しさに足もおのずから軽く挙るごとくおぼゆ。牛頭山前よりは共にと契りたる寒月子と打連れ立ちて、竹屋の渡りより浅草にかかる。午後二時というに上野を出でて高崎におもむく汽車に便りて熊谷まで行かんとするなれば、夏の日の真盛りの頃を歩むこととて、市中の塵埃の[#挿絵]い、馬車の騒ぎあえるなど、見る眼あつげならざるはなし。とある家にて百万遍の念仏会を催し、爺嫗打交りて大なる珠数を繰りながら名号唱えたる、特に声さえ沸ゆるかと聞えたり。
 上野に着きて少時待つほどに二時となりて汽車は走り出でぬ。熱し熱しと人もいい我も喞つ。鴻巣上尾あたりは、暑気に倦めるあまりの夢心地に過ぎて、熊谷という駅夫の声に驚き下りぬ。ここは荒川近き賑わえる町なり。明日は牛頭天王の祭りとて、大通りには山車小屋をしつらい、御神輿の御仮屋をもしつらいたり。同じく祭りのための設けとは知られながら、いと長き竿を鉾立に立てて、それを心にして四辺に棒を取り回し枠の如くにしたるを、白布もて総て包めるものありて、何とも悟り得ず。打見たるところ譬えば糸を絡う用にすなる[#挿絵]子というもののいと大なるを、竿に貫きて立てたるが如し。何ぞと問うに、四方幕というものぞという。心得がたき名なり。
 石原というところに至れば、左に折るる路ありて、そこに宝登山道としるせる碑に対いあいて、秩父三峰道とのしるべの碑立てり。径路は擱きていわず、東京より秩父に入るの大路は数条ありともいうべきか。一つは青梅線の鉄道によりて所沢に至り、それより飯能を過ぎ、白子より坂石に至るの路なり。これを我野通りと称えて、高麗より秩父に入るの路とす。次には川越より小川にかかり、安戸に至るの路なり。これを川越通りと称え、比企より秩父に入るの路とす。中仙道熊谷より荒川に沿い寄居を経て矢那瀬に至るの路を中仙道通りと呼び、この路と川越通りを昔時は秩父へ入るの大路としたりと見ゆ。今は汽車の便ありて深谷より寄居に至る方、熊谷より寄居に至るよりもやや近ければ、深谷まで汽車にて行き越し、そこより馬車の便りを仮りて寄居に至り、中仙道通りの路に合する路を人の取ることも少からずと聞く。同じ汽車にて本庄まで行き、それより児玉町を経て秩父に入る一路は児玉郡よりするものにて、東京より行かんにははなはだしく迂なるが如くなれども、馬車の接続など便よければこの路を取る人も少からず。上州の新町にて汽車を下り、藤岡より鬼石に…

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