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木曽御嶽の両面
きそおんたけのりょうめん
作品ID49586
著者吉江 喬松
文字遣い新字新仮名
底本 「山の旅 明治・大正篇」 岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年9月17日
初出「太陽」博文館、1908(明治41)年8月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2010-03-08 / 2014-09-21
長さの目安約 32 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 八月の初旬、信濃の高原は雲の変幻の最も烈しい時である。桔梗が原を囲む山々の影も時あって暗く、時あって明るく、その緑の色も次第に黒みを帯びて来た。入日の雲が真紅に紫にあるいは黄色に燃えて燦爛の美を尽すのも今だ。この原の奇観の一つに算えられている大旋風の起るのもこの頃である。
 曇り日の空に雲は重く、見渡すかぎり緑の色は常よりも濃く、風はやや湿っているが路草に置く露が重いので、まず降る恐れはなかろう。塩尻の停車場から原の南隅の一角を掠めて木曾路へ這入って行こうとするのである。道は旧中仙道の大路で極めて平坦である。左手には山が迫り、山の麓には小村が点在している。右手は遠く松林、草原が断続して、天気の好い日ならばその果てに松本の市街が小さく見え、安曇野を隔てて遠く、有明山、屏風岳、槍ヶ岳、常念ヶ岳、蝶ヶ岳、鍋冠山などが攅簇して、山の深さの幾許あるか知れない様を見せているのだが、これらの山影も今日は半ば以上雲に包まれて見えない。ただ空の一角、私たちの行く手に当って青空が僅に微めいているだけである。
 この頃の中仙道の路上は到る処白衣の道者の鈴声を聞かない事はない。金剛杖を突き、呪文を唱えながら行く御嶽道者らで、その鈴声に伴われて行けば知らず知らずに木曾路に這入ってしまうのである。
 桔梗が原の尽頭第一の駅路は洗馬である。犀川の源流の一つである奈良井川は駅の後方に近く流れ、山がやや迫って山駅の趣が先ず目に這入る。駅は坂路ですこぶる荒廃の姿を示している。洗馬を通り抜けると、牧野、本山、日出塩等の諸駅の荒廃の姿はいずれも同じであるが、戸々養蚕は忙しく途上断えず幾組かの桑摘帰りの男女に逢う。この養蚕はこれら山駅の唯一の生命である。
 離落たる山駅の間を走って中仙道は次第に山深く這入って行く。雲が晴れて日が次第に照らし出す。山風はいかにも涼しいが、前途の遠いのを思うとすこぶる心もとない。
 桜沢、若神子、贄川、平沢の諸駅、名前だけは克く耳にしていた。桜沢以西は既に西筑摩郡で、いわば前木曾ともいうべき処である。これらの村々から松本の町へ出て来る学生がある。家から栗の実を送って来たといっては友人を集めてその御馳走をするのであった。その後では必ず「木曾のなあ――」という例の歌を唄って聞かせた。今では女の学生も出ている。同行者の一人の太田君は自分の教え子だと言ってその子の家へ立寄った。家の中は一ぱいに蚕棚が立てられていて、人のいる場所もない位。おとずれると、太い大黒柱の黒く光っている陰から老人の頭が見えて、その子は今桑摘みに行っていないがとにかく是非休んで行けといって、連りに一行の者を引止めて茶をすすめながら、木曾街道の駅々の頽廃して行く姿をば慨歎して、何とか振興策はあるまいかといっていた。
 奈良井の駅は川と鳥居嶺との間に圧せられたような、如何にも荒涼たる駅である。此処から嶺へ登る…

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