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案内人風景
あんないにんふうけい
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「山の旅 大正・昭和篇」 岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年11月14日
初出「文藝春秋」1931(昭和6)年7月
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2009-07-23 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 日本アルプス地方に於て「登山案内者」という職業的な存在が認められたのは、恐らく今から二十二、三年前からの事だろう。
 それ以前のいわゆる日本アルプス探険時代ともいうべき頃の登山者たちは、概ね、猟師とか、岩魚釣りとか、杣人の類か、または、かつて陸地測量部の人夫として働いた事があるというような人を、辛うじて探し出して、頼むべき伴侶とする外はなかったのである。そしてそれらの案内たちは、誠に愛すべき純朴な山人であった。指を屈すれば、先ず、上高地の嘉門次、黒部の品右衛門、牧の喜作、中房の類蔵、大町の又吉、等、総ては今は故人となってしまった。品右衛門も、嘉門次も、共にその一生涯を岩魚釣りで過ごして死んでしまった。喜作は大正十一年の二月、爺ヶ岳裏の棒小屋沢に羚羊猟に行ってた時に、雪崩の下になって、その息子と、愛犬と一緒に死んだ。皆が、山人らしい死に方でこの世を去ったのだ。
 芦峅きってのその強力で冬の登山者に取って重宝がられたあの福松も、去年一月の劍のアクシデントで無惨に逝ってしまった。
 喜作の最後に就いては、当時猟友として行を共にして奇しくも生命を助かった上高地の庄吉が詳しく物語ってくれる。誰でも上高地を訪ねた人が、もし機会があったなら、彼を訪ねて炉辺に榾火を焚きながらこの物語を聞いて御覧なさい。相応しい山物語りにホロリとする所があるだろう。その時、半身を雪に圧されて救助隊の来るまでの一昼夜を動かれぬままに観念してすごした苦しさを思い出しながら、沁々と語る。喜作はかすかに、ウーンと[#挿絵]っただけだった。私は数年前の冬、高瀬の奥で喜作が猿の皮を無雑作に頸に巻き付けた姿で、獲物の羚羊の皮の枠張に余念なかった姿を想出して、その最後の「ウーン」といったという断末魔に猿を連想する猟師たちは決して「猿」と呼ばず「猿公」と呼ぶ迷信があるからかも知れない。
 福松の姉は、黒部の平の弥曾太郎の女房だ。頼もしかった弟の死を、どんなに諦めようとしても諦らめられぬと愚痴る。劍の小屋の源次郎が当時の話をしてくれる。
 その骨肉や、先輩たちの、「山師は山で果てる」言葉通りの死を痛みつつも、やはり山から離れられない所に山人の宿命がある訳だ。
 私はここに、登山案内史的な記述をしようとするのではないが、近来の素晴らしい登山の発達というよりも、登山熱が、如何に彼らの姿を変えたかと考える時に、いささか懐古的な気持にならざるを得ない。いわば第二期に位する者に、現在、芦峅の平蔵があり、大山村の長次郎があり、音沢村の助七があり、中房の善作があり、大町に玉作、林蔵、が生きていて、なお往々、登山者の案内役を務めてはいる。けれども、暫てその人たちも、劍の平蔵谷に、長次郎谷に、そのモニューメントを残して各々山人らしくこの世を去ってゆくのであろう。登山者は今少数の彼らに依って、僅かに昔ながらの山人の片鱗を見る事が…

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