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獄中消息
ごくちゅうしょうそく
作品ID4962
著者大杉 栄
文字遣い新字新仮名
底本 「大杉栄選 日本脱出記・獄中記」 現代思潮社
1970(昭和45)年7月10日
入力者小鍛冶茂子
校正者林幸雄
公開 / 更新2004-04-20 / 2014-09-18
長さの目安約 114 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

市ヶ谷から(一)

   *
 宛名・日附不明
 僕は三畳の室を独占している。日当りもいいし、風通しもいいし、新しくて綺麗だし、なかなか下六番町の僕の家などの追いつくものでない。……こんなところなら一生はいっていてもいいと思うくらいだ。しかし警視庁はいやなところだった。南京虫が多くてね。僕も左の耳を噛まれて、握拳大の瘤を出かした。三、四日の間はかゆくてかゆくて、小刀でもあったらえぐり取りたいほどであった。
 十分間と口から離したことのない煙草とお別れするのだもの、定めて寤寝切なる思いをしなければなるまいと思っていたが、不思議だ、煙草のたの字も出て来ない。強いて思って見ようと努めて見たが、やっぱり駄目だ。
 いつまでここに居るか知らないが、在監中には是非エスペラント語を大成し、ドイツ語を小成したいと思ってる。
 監獄へ来て初めて冷水摩擦というものを覚えた。食物もよくよく噛みこなしてから呑込むようになった。食事の後には必ずウガイする。毎朝柔軟体操をやる。なかなか衛生家になった。
   *
 来た初めに一番驚いたのは監房にクシとフケトリとが揃えてあったことです。これがなかったら大ハイ[#挿絵]当時の僕のアダ名、ハイはハイカラのハイも[#挿絵]何も滅茶苦茶です。しかしまさかに鏡はありません。於是乎、腕を拱いて大ハイ大いに考えたのです。そしてとうとう一策を案出したのです。それは監房の中に黒い渋紙を貼った塵取がありますから、ガラス窓を外して、その向側にそれを当てて見るのです。試みにやって御覧なさい。ヘタな鏡などよりよほどよく見えます。
   *
 宛名不明・明治三十九年四月二日
 この頃は、半ば丸みがかった月が、白銀の光を夜なかまで監房のうちに送ってくれます。
 監獄といえども花はあります。毎朝運動場に出ると、高い壁を越えて向うに、今は真っ盛りの桃の木を一株見ることができます。なおその外にも、病監の前に数株の桜がありますから、近いうちにはこの花をも賞することがあるのでしょう。
 月あり、花あり、しこうしてまた鳥も居ります。本も読みあきて、あくびの三つ四つも続いて出る時に、ただ一つの友として親しむのは、窓側の桧に群がって来る雀です。その羽の色は決して麗わしくはありません。その声音も決して妙なるものではありません。その容姿もまた決して美なるものではありません。しかし何だかなつかしいのはこの鳥です。
   *
 宛名・日附不明
 今朝早くからエスペラントで夢中になっております。一瀉千里の勢いとまでは行きませんが、ともかくもズンズン読んでゆけるので嬉しくて堪りません。予審の終結する頃までにはエスペラントの大通になって見せます。
 ここにもやはり南京虫が居ります。これさえ居なければ時々は志願して来てもいいと思って居ったのに惜しいことです。今日までに噛まれた数と場所とは左のごとくで…

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