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発行所の庭木
はっこうじょのにわき
作品ID49631
著者高浜 虚子
文字遣い新字旧仮名
底本 「近代浪漫派文庫 7 正岡子規 高浜虚子」 新学社
2006(平成18)年9月11日第1刷
入力者門田裕志
校正者Juki
公開 / 更新2010-04-18 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 発行所の庭には先づ一本の棕梠の木がある。春になつて粟粒を固めた袋のやうな花の簇出したのを見て驚いたのは、もう五六年も前の事である。それ迄棕梠の花といふものは、私は見た事がなかつたのである。見た事はあつても心に留まらなかつたのである。それがこの家に移り住むやうになつて新しく毎日見る棕梠の梢から、黄いろい若干の袋が日に増し大きくなつて来るのを見て始めて棕梠の花といふものを知つた時は一つの驚異であつた。その後の棕梠には格別の変化も無い。梢から矢の如く新しい沢山の葉が放出すると同時に、下葉の方は葉先から赤くなつて来て幹に添ふて垂下して段々と枯れて行く。この新陳代謝は絶えず行はれつつある。或時私は座敷の机にもたれて仕事をして居ると、軒端に何か物影がさして其処に烈しい羽搏きの音が聞えたので驚いて見ると、それは半ば枯れて下つてゐる一本の棕梠の葉に止まつた烏が、自分の重みで其の葉を踏折つた、それに驚いて羽搏いてゐる処であつた。丁度私が見上げた時は、其折れた棕梠の葉を踏み外しながら、烏は羽搏いて他の簇出してゐる棕梠の葉の間から大空へ逃げて行かうとする処であつた。
 そこには二本の松の木があつたが、其一本は枯れてしまつた。此松の木が緑を吹く事が年々少なくなつて来て、頼み少なくなつて来た時は何となく厭な心持であつた。どうかして蘇生さして遣りたいと思つて、植木屋に頼んで或る薬を根本に濺がした。それから二升ばかりの酒を惜し気もなく呉れて遣つた事もあつた。それでも勢を盛り返さなかつた。植木屋の説によるとこれは隣の楓が余りはびこる為めであらうとの事であつたので、其楓を坊主に切つた事もあつた。又た植木屋が云ふには、これは此処にある塗池が破損してゐて水が漏る為めに松が痛むのである、この池を潰してしまつたならば助かるかも知れないと。私は又た容易に植木屋の言葉を信じて、その池を潰してしまつた。年とつた植木屋は何日か続けて遣つて来て相当の賃銀を握つて帰つたが、それは全く徒労であつた。其次に植木屋の来た時に、愈々その松には望を絶つてそれを掘り起して、雪隠の蔭になつてゐた一本の槙をそこに移し植ゑた。この槙は十両とか二十両とかの値打があると植木屋が讃めた程あつて、今迄雪隠の蔭にあつた時は気がつかなかつたが明るみに出して見ると品格のある木となつた。今一本の松の木は枯れた松よりは古木であつて枝振りも面白いから大事になさいと植木屋が言つたが、其後手が届かぬのでこれも段々下枝から枯れて行くやうだ。それでもまだ可なりな緑を吹いて此の方は大丈夫らしい。
 その外には二本の青桐と金目が五六本と柘榴などがある。長さ五間の板塀にくつついて是等の木は並べて植ゑられてある。さうしてそれらの木は皆共同の一つの目的を持つて居る。其は外でもない。発行所の前は駄菓子などを売つてゐる小さい店屋が並んでゐて、それらの店屋は皆二階を持つ…

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