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書かでもの記
かかでものき
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「荷風随筆集(下)」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年11月17日
入力者門田裕志
校正者米田
公開 / 更新2010-10-06 / 2014-09-21
長さの目安約 41 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 身をせめて深く懺悔するといふにもあらず、唯臆面もなく身の耻とすべきことどもみだりに書きしるして、或時は閲歴を語ると号し、或時は思出をつづるなんぞと称へて文を売り酒沽ふ道に馴れしより、われ既にわが身の上の事としいへば、古き日記のきれはしと共に、尺八吹きける十六、七のむかしより、近くは三味線けいこに築地へ通ひしことまでも、何のかのと歯の浮くやうな小理窟つけて物になしたるほどなれば、今となりてはほとほと書くべきことも尽き果てたり。然るをなほも古き机の抽斗の底、雨漏る押入の片隅に、もしや歓場二十年の夢の跡、あちらこちらと遊び歩きし茶屋小屋の勘定書、さてはいづれお目もじの上とかく売女が無心の手紙もあらばと、反古さへ見れば鵜の目鷹の目。かくては紙屑拾もおそれをなすべし。
 つらつらここにわが売文の由来を顧み尋るにわれ始めて小説の単行本といふもの出せしはわが友巴山人赤木君の経営せし美育社なり。数ふれば早十七年のむかしとなりぬ。巴山人は早稲田出身の文士にて漣山人門下の秀才なりしが明治三十四年同門の黒田湖山と相図り麹町三番町二七不動のほとりに居をかまへ文学書類の出版を企てき。その頃文学小説の出版としいへば殆ど春陽堂一手の専門にて作家は紅葉露伴の門下たるにあらずんば殆どその述作を公にするの道なかりしかば、義侠の巴山人奮然意を決してまづわれら木曜会の気勢を揚げしめんがために貲を投じ美育社なるものを興し月刊雑誌『饒舌』を発行したり。『饒舌』は寸鉄かへつて人を殺すに足るとて三十二頁の小冊子とし、黒田湖山主筆となりて毎号巻頭に時事評論を執筆し生田葵山とわれとは小説を掲げ西村渚山は泰西名著の翻訳を金子紫草は海外文芸消息を井上唖々は俳句と随筆とを出しぬ。これと共に美育社は青年小説叢書と題してまづ生田葵山の小説『自由結婚』次に余の拙著『野心』西村渚山の『小間使』黒田湖山の『大学攻撃』等を出版し、また星野麦人をして『古今俳句大観』四巻を編纂せしめき。翌年美育社ますます業務を拡張し神楽坂上寺町通に書籍雑誌の売捌店をも出せしが突然社主赤木君故ありてその郷里に帰らざるべからざるに及び、惜しい哉事皆中絶するに至りぬ。雑誌『饒舌』は湖山一人の手に残りて『ハイカラ』と改題せられしが気焔また既往の如なる能はず幾何ならずして廃刊しき。
 これより先生田葵山書肆大学館と相知る。主人岩崎氏を説いて文学雑誌『活文壇』を発行せしめ、井上唖々と共に編輯のことを掌りぬ。『活文壇』は木曜会同人の作を発表するの傍汎く青年投書家の投書を歓迎して販売部数を多からしめんことを試みたり。然れども当時この種の投書雑誌には小島烏水子の『文庫』、田口掬汀氏の『新声』等その勢力甚盛なるあり。新刊の『活文壇』は再三上野三宜亭に誌友懇談会を開き投書家を招待し木曜会の文士交[#挿絵]文芸の講演を試むる等甚勉むる処ありしが、書肆早くも月々の…

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