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葛飾土産
かつしかみやげ
作品ID49636
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「荷風随筆集(上)」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年9月16日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2010-07-02 / 2019-12-13
長さの目安約 19 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

        ○

 菅野に移り住んでわたくしは早くも二度目の春に逢おうとしている。わたくしは今心待ちに梅の蕾の綻びるのを待っているのだ。
 去年の春、初めて人家の庭、また農家の垣に梅花の咲いているのを見て喜んだのは、わたくしの身に取っては全く予想の外にあったが故である。戦災の後、東京からさして遠くもない市川の町の附近に、むかしの向嶋を思出させるような好風景の残っていたのを知ったのは、全く思い掛けない仕合せであった。
 わたくしは近年市街と化した多摩川沿岸、また荒川沿岸の光景から推察して、江戸川東岸の郊外も、大方樹木は乱伐せられ、草は踏みにじられ、田や畠も兵器の製造場になったものとばかり思込んでいたのであるが、来て見ると、まだそれほどには荒らされていない処が残っていた。心して尋ね歩めばむかしのままなる日本固有の風景に接して、伝統的なる感興を催すことが出来ないでもない。
 わたくしは日々手籠をさげて、殊に風の吹荒れた翌日などには松の茂った畠の畦道を歩み、枯枝や松毬を拾い集め、持ち帰って飯を炊ぐ薪の代りにしている。また野菜を買いに八幡から鬼越中山の辺まで出かけてゆく。それはいずこも松の並木の聳えている砂道で、下肥を運ぶ農家の車に行き逢う外、殆ど人に出会うことはない。洋服をきたインテリ然たる人物に行逢うことなどは決してない。しかし人家はつづいている。人家の中には随分いかめしい門構に、高くセメントの塀を囲らしたところもあるが、大方は生垣や竹垣を結んだ家が多いので、道行く人の目にも庭や畠に咲く花が一目に見わたされる。そして垣の根方や道のほとりには小笹や雑草が繁り放題に繁っていて、その中にはわたくしのかつて見たことのない雑草も少くはない。山牛蒡の葉と茎とその実との霜に染められた臙脂の色のうつくしさは、去年の秋わたくしの初めて見たものであった。野生の萩や撫子の花も、心して歩けば松の茂った木蔭の笹藪の中にも折々見ることができる。茅葺の屋根はまだ随処に残っていて、住む人は井戸の水を汲んで米を磨ぎ物を洗っている。半農半商ともいうべきそういう人々の庭には梅、桃、梨、柿、枇杷の如き果樹が立っている。
 去年の春、わたくしは物買いに出た道すがら、偶然茅葺屋根の軒端に梅の花の咲いていたのを見て、覚えず立ちどまり、花のみならず枝や幹の形をも眺めやったのである。東京の人が梅見という事を忘れなかったむかしの世のさまがつくづく思い返された故である。それは今にして思返すと全く遠い昔の事である。明治の末、わたくしが西洋から帰って来た頃には梅花は既に世人の興を牽くべき力がなかった。向嶋の百花園などへ行っても梅は大方枯れていた。向嶋のみならず、新宿、角筈、池上、小向井などにあった梅園も皆閉され、その中には瓦斯タンクになっていた処もあった。樹木にも定った年齢があるらしく、明治の末から大正へかけて、市中…

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