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妾宅
しょうたく
作品ID49644
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「荷風随筆集(下)〔全2冊〕」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年11月17日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2010-05-05 / 2021-02-04
長さの目安約 34 ページ(500字/頁で計算)

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本文より



 どうしても心から満足して世間一般の趨勢に伴って行くことが出来ないと知ったその日から、彼はとある堀割のほとりなる妾宅にのみ、一人倦みがちなる空想の日を送る事が多くなった。今の世の中には面白い事がなくなったというばかりならまだしもの事、見たくでもない物の限りを見せつけられるのに堪えられなくなったからである。進んでそれらのものを打壊そうとするよりもむしろ退いて隠れるに如くはないと思ったからである。何も彼も時世時節ならば是非もないというような川柳式のあきらめが、遺伝的に彼の精神を訓練さしていたからである。身過ぎ世過ぎならば洋服も着よう。生れ落ちてから畳の上に両足を折曲げて育った揉れた身体にも、当節の流行とあれば、直立した国の人たちの着る洋服も臆面なく採用しよう。用があれば停電しがちの電車にも乗ろう。自動車にも乗ろう。園遊会にも行こう。浪花節も聞こう。女優の鞦韆も下からのぞこう。沙翁劇も見よう。洋楽入りの長唄も聞こう。頼まれれば小説も書こう。粗悪な紙に誤植だらけの印刷も結構至極と喜ぼう。それに対する粗忽干万なジゥルナリズムの批評も聞こう。同業者の誼みにあんまり黙っていても悪いようなら議論のお相手もしよう。けれども要するに、それはみんな身過ぎ世過ぎである。川竹の憂き身をかこつ哥沢の糸より細き筆の命毛を渡世にする是非なさ……オット大変忘れたり。彼というは堂々たる現代文士の一人、但し人の知らない別号を珍々先生という半可通である。かくして先生は現代の生存競争に負けないため、現代の人たちのする事は善悪無差別に一通りは心得ていようと努めた。その代り、そうするには何処か人知れぬ心の隠家を求めて、時々生命の洗濯をする必要を感じた。宿なしの乞食でさえも眠るにはなお橋の下を求めるではないか。厭な客衆の勤めには傾城をして引過ぎの情夫を許してやらねばならぬ。先生は現代生活の仮面をなるべく巧に被りおおせるためには、人知れずそれをぬぎ捨てべき楽屋を必要としたのである。昔より大隠のかくれる町中の裏通り、堀割に沿う日かげの妾宅は即ちこの目的のために作られた彼が心の安息所であったのだ。



 妾宅は上り框の二畳を入れて僅か四間ほどしかない古びた借家であるが、拭込んだ表の格子戸と家内の障子と唐紙とは、今の職人の請負仕事を嫌い、先頃まだ吉原の焼けない時分、廃業する芸者家の古建具をそのまま買い取ったものである。二階の一間の欄干だけには日が当るけれど、下座敷は茶の間も共に、外から這入ると人の顔さえちょっとは見分かぬほどの薄暗さ。厠へ出る縁先の小庭に至っては、日の目を見ぬ地面の湿け切っていること気味わるいばかりである。しかし先生はこの薄暗く湿った家をば、それがためにかえってなつかしく、如何にも浮世に遠く失敗した人の隠家らしい心持ちをさせる事を喜んでいる。石菖の水鉢を置いた[#挿絵]子窓の下には朱の溜…

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