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十九の秋
じゅうくのあき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「荷風随筆集(下)」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年11月17日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2010-04-11 / 2014-09-21
長さの目安約 8 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 近年新聞紙の報道するところについて見るに、東亜の風雲はますます急となり、日支同文の邦家も善鄰の誼しみを訂めている遑がなくなったようである。かつてわたくしが年十九の秋、父母に従って上海に遊んだころのことを思い返すと、恍として隔世の思いがある。
 子供の時分、わたくしは父の書斎や客間の床の間に、何如璋、葉松石、王漆園などいう清朝人の書幅の懸けられてあったことを記憶している。父は唐宋の詩文を好み、早くから支那人と文墨の交を訂めておられたのである。
 何如璋は、明治十年頃から久しい間東京に駐剳していた清国の公使であった。
 葉松石は同じころ、最初の外国語学校教授に招聘せられた人で、一度帰国した後、再び来遊して、大阪で病死した。遺稿『煮薬漫抄』の初めに詩人小野湖山のつくった略伝が載っている。
 毎年庭の梅の散りかける頃になると、客間の床には、きまって何如璋の揮毫した東坡の絶句が懸けられるので、わたくしは老耄した今日に至ってもなお能く左の二十八字を暗記している。
梨花淡白柳深青  〔梨花は淡白にして柳は深青
柳絮飛時花満城   柳絮の飛ぶ時 花 城に満つ
惆悵東欄一樹雪   惆悵す 東欄一樹の雪
人生看得幾清明   人生 看るを得るは幾清明ぞ〕
 何如璋は明治の儒者文人の間には重んぜられた人であったと見え、その頃刊行せられた日本人の詩文集にして何氏の題字や序または評語を載せないものは殆どない。
 わたくしが東京を去ったのは明治三十年の九月であったが、出帆の日もまた乗込んだ汽船の名も今は覚えていない。わたくしは両親よりも一歩先に横浜から船に乗り、そして神戸の港で、後から陸行して来られる両親を待合したのである。
 船は荷積をするため二日二晩碇泊しているので、そのあいだに、わたくしは一人で京都大阪の名所を見歩き、生れて初めての旅行を娯しんだ。しかしその時の事は、大方忘れてしまった中に、一つ覚えているのは、文楽座で、後に摂津大掾になった越路太夫の、お俊伝兵衛を聴いたことだけである。
 やがて船が長崎につくと、薄紫地の絽の長い服を着た商人らしい支那人が葉巻を啣えながら小舟に乗って父をたずねに来た。その頃長崎には汽船が横づけになるような波止場はなかった。わたくしは父を訪問しに来た支那人が帰りがけに船梯子を降りながら、サンパンと叫んで小舟を呼んだその声をきき、身は既に異郷にあるが如き一種言いがたい快感を覚えた事を今だに忘れ得ない。
 朝の中長崎についた船はその日の夕方近くに纜を解き、次の日の午後には呉淞の河口に入り、暫く蘆荻の間に潮待ちをした後、徐に上海の埠頭に着いた。父は官を辞した後商となり、その年の春頃から上海の或会社の事務を監督しておられたので、埠頭に立っていた大勢の人に迎えられ、二頭立の箱馬車に乗った。母とわたくしも同じくこの馬車に乗ったが、東京で鉄道馬車の痩せた馬ばかり見…

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