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十六、七のころ
じゅうろく、しちのころ
作品ID49646
著者永井 荷風
文字遣い新字新仮名
底本 「荷風随筆集(下)〔全2冊〕」 岩波文庫、岩波書店
1986(昭和61)年11月17日
入力者門田裕志
校正者阿部哲也
公開 / 更新2010-04-16 / 2021-02-04
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 十六、七のころ、わたくしは病のために一時学業を廃したことがあった。もしこの事がなかったなら、わたくしは今日のように、老に至るまで閑文字を弄ぶが如き遊惰の身とはならず、一家の主人ともなり親ともなって、人間並の一生涯を送ることができたのかも知れない。
 わたくしが十六の年の暮、といえば、丁度日清戦役の最中である。流行感冒に罹ってあくる年の正月一ぱい一番町の家の一間に寝ていた。その時雑誌『太陽』の第一号をよんだ。誌上に誰やらの作った明治小説史と、紅葉山人の短篇小説『取舵』などの掲載せられていた事を記憶している。
 二月になって、もとのように神田の或中学校へ通ったが、一週間たたぬ中またわるくなって、今度は三月の末まで起きられなかった。博文館が帝国文庫という総称の下に江戸時代の稗史小説の復刻をなし始めたのはその頃からであろう。わたくしは病床で『真書太閤記』を通読し、つづいて『水滸伝』、『西遊記』、『演義三国志』のような浩澣な冊子をよんだことを記憶している。病中でも少年の時よんだものは生涯忘れずにいるものらしい。中年以後、わたくしは、機会があったら昔に読んだものをもう一度よみ返して見ようと思いながら、今日までまだ一度もそういう機会に出遇わない。
 震災の後、上海の俳優が歌舞伎座で孫悟空の狂言を演じたことがあったが、わたくしはそれを看た時、はっきり原作の『西遊記』を記憶していることを知った。『太平記』の事が話頭に上ると、わたくしは今でも「落花の雪にふみまよふ片野あたりの桜狩」と、海道下りの一節を暗誦して人を驚すことが出来るが、その代り書きかけている自作の小説の人物の名を忘れたりまたは書きちがえたりすることがある。
 鶯の声も既に老い、そろそろ桜がさきかけるころ、わたくしはやっと病褥を出たが、医者から転地療養の勧告を受け、学年試験もそのまま打捨て、父につれられて小田原の町はずれにあった足柄病院へ行く事になった。(東京で治療を受けていた医者は神田神保町に暢春医院の札を出していた馬島永徳という学士であった。暢春医院の庭には池があって、夏の末には紅白の蓮の花がさいていた。その頃市中の家の庭に池を見ることはさして珍しくはなかったのである。)
 わたくしは三カ月ほど外へ出たことがなかったので、人力車から新橋の停車場に降り立った時、人から病人だと思われはせぬかと、その事がむやみに気まりがわるく、汽車に乗込んでからも、帽子を眉深にかぶり顔を窗の方へ外向けて、ろくろく父とも話をせずにいた。国府津の停車場前からはその頃既に箱根行の電車があった。(しかし駅という語はまだ用いられていなかった。)病院に着いて、二階の一室に案内せられ、院長の診察を受けたりしていると、間もなく昼飯時になった。父は病院の食物を口にしたくなかったためであろう。わたくしをつれて城内の梅園に昼飯を食べに出掛けた。その頃、小…

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