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地球儀
ちきゅうぎ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「日本文学全集37 牧野信一・梶井基二郎集」 集英社
1968(昭和43)年8月12日
初出「文藝春秋 第一巻第七号(七月創作附録号)」文藝春秋社、1923(大正12)年7月1日
入力者岡本ゆみ子
校正者noriko saito
公開 / 更新2009-10-31 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 祖父の十七年の法要があるから帰れ――という母からの手紙で、私は二タ月ぶりぐらいで小田原の家に帰った。
「このごろはどうなの?」
 私は父のことを尋ねた。
「だんだん悪くなるばかり……」
 母は押入を片付けながら言った。続けて、そんな気分を振り棄てるように、
「こっちの家はほんとに狭くてこんな時にはまったく困ってしまう。第一どこに何がしまってあるんだか少しも分らない」などと呟いていた。
「僕の事をおこっていますか?」
「カンカン!」
 母は面倒くさそうに言った。
「ふふん!」
「これからもうお金なんて一文もやるんじゃないッて――私まで大変おこられた」
「チェッ!」と私はセセラ笑った。きっとそうくるだろうとは思っていたものの、明らかに言われてみるとドキッとした。セセラ笑ってみたところで、私自身も母も、私自身の無能とカラ元気とをかえって醜く感ずるばかりだ。
「もうお父さんの事はあてにならないよ。あの年になってのことだもの……」
 これは父の放蕩を意味するのだった。
「勝手にするがいいさ」
 私はおこったような口調で呟くと、いかにも腹には確然としたある自信があるような顔をした。こんなものの言い方やこんな態度は、私がこのごろになって初めて発見した母に対する一種のコケトリイだった。だが、私が用うのはいつもこの手段のほかはなく、そうしてその場限りで何の効もないので、今ではもう母の方で、もう聞き飽きたよという顔をするのだった。
「もう家もおしまいだ。私は覚悟している」と母は言った。
 私は、母が言うこの種の言葉はすべて母が感情に走って言うのだ、という風にばかりことさらに解釈しようと努めた。
「だけど、まアどうにかなるでしょうね」
 私は何の意味もなく、ただ自分を慰めるように易々と見せかけた。こんな私の楽天的な態度にもすっかり母は愛想を尽かしていた。
 母は、ちょっと笑いを浮べたまま黙って、煙草盆を箱から出しては一つ一つ拭いていた。
 私も、話だけでも、父の事に触れるのは厭になった。
「明日は叔父さんたちも皆な来るでしょう」
「皆な来ると言って寄こした」
 また父の事が口に出そうになった。
「躑躅がよく咲いてる」と私は言った。
「お前でも花などに気がつくことがあるの」
「そりゃ、ありますとも」と私は笑った。母も笑った。
「ただでさえ狭いのにこれ邪魔でしようがない。まさか棄てるわけにもゆかず」
 母は押入の隅に嵩張っている三尺ほども高さのある地球儀の箱を指差した。――私は、ちょっと胸を突かれた思いがして、かろうじて苦笑いを堪えた。そうして、
「邪魔らしいですね」と慌てて言った。なぜなら私はこの間その地球儀を思いだして一つの短篇を書きかけたからだった。
 それはこんな風にきわめて感傷的に書きだした。――『祖父は泉水の隅の灯籠に灯を入れてくるとふたたび自分独りの黒く塗った膳の前に…

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