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明治懐顧
めいじかいこ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「青帛の仙女」 同朋舎出版
1996(平成8)年4月5日
初出「日本美術」1943(昭和18)年5月
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2009-07-08 / 2014-09-21
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私が絵を習い始めた頃を想い出すと、まことに伸々として懐かしいものが、数々あります。その頃(明治二十一年頃)京都には鈴木百年、松年、幸野楳嶺、岸竹堂、今尾景年、森寛斎、森川曾文等諸先生の社中がありましたが、ここでは鈴木松年社中を例として述べてみたいと思います。
 今日でいう画塾の研究会というのが、毎月十五日円山の牡丹畑で開かれました。その頃の円山公園は、祇園神社のすぐ北側が鬱蒼とした森で、小径がついていて、あの名高い橡の近くに牡丹畑があり、そこに料亭があって牡丹畑というのでした。そこで開かれるのですが、料亭の入口に、「鈴木社中画会」と大きく書き出され、階上には松年先生はじめ社中の人々の、その月の作品が、それは大抵紙本でしたが、仮巻に貼られて陳列され、階下では席上画が催されました。春などは円山も人で賑わいますが、この鈴木社中画会の看板をみて、入ってくる人がかなりあったものです。二階の陳列画をみて、階下へ降りてくると、そこに扇子、唐紙などを売っていますので、それを求めて、席上画をたのむという風で、何処の誰か知らない人に扇子を出されて、席上画を描いたものでした。
 さてこの研究会である画会では、作品批評などはありませんでした。社中の人々は出品する以前に、先生からお手本を拝借して、それで描いて、みて頂くのです。そこでお手本ですが、松年先生は、夜など来客と話しながらよく絵を描いていられました。ひくい大きな机に唐紙の連落ちをひろげ、焼墨もあたらずに、山水画を描いていられましたが、三分の一くらいかけると、墨がかわかないので、唐紙のほごを上にのせてクルクルと巻いて、次のを描くという風で、こうして幾日かたつと幾枚かの絵が完成するのです。それが画室の隅に積み重ねられてあって、私どもが、「お手本を」と言うと、「その積んでいる中からお選り」と言われる。私どもは、その中から好ましいのを選り出してお手本にするのです。
 勿論お手本ばかりにたよっていたのではありません。よいお天気の日など、急に先生が、「これから賀茂あたりへ写生に行こう」と言われて社中のもの幾人か先生のお供をしたものでした。途中でかしわ餅を沢山買って、写生が終ると、皆で座っていただくのです。これなども懐かしい思い出の一つでしょう。
 春秋の二回、鈴木派の合同(百年、松年)画会が、同じ牡丹畑で開かれました。この時には絹本に描いたりしたものでした。前にも申した通り月次会には大抵紙本でしたが、この大会には絹本で特に力をいれたのでしたが、絹でも今日のように縁をつけたのではなく、矢張仮巻に貼ったものでした。
 以上は一社中の年中行事の一例ですが、明治二十九年頃まで如雲社というのがあって、毎月十一日に画会が開かれました。これには世話をするひとがいて、参考品を大徳寺とか妙心寺とか、そうした各方面から古名画を借りてきて陳列したのです。随分…

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