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日本画と線
にほんがとせん
作品ID49729
著者上村 松園
文字遣い新字新仮名
底本 「青帛の仙女」 同朋舎出版
1996(平成8)年4月5日
初出「大毎美術月報」1923(大正12)年5月号
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2009-03-26 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 日本画 美人画 風俗画 それがこれからどうなってゆくかと申すことにつきましては、いろいろと斯道の人達にも議論せられているようでございますが、いずれに致しましても、どうかしてこの日本特有の絵の心を失わずに持ち続けたいものだと存じます。
 それで、この「日本画」殊に風俗画の特有な妙所は何処にあるかと考えてみますると、まず主にそれは絵筆の尖端からいろいろな味を以て生れて来て、自由自在に絹や紙の上に現われてくる「線」そのものであろうと思います。
 日本画の線と申すものは、この絵を作る上に於て最も重要なもので、日本画にこれがなかったら、日本画というものはまず無いと言ってもいいものかと存じます。でありますからこの線一つでその絵が生きも死にも致します。仮りに今ここに一つの風俗画が描かれてあったと致しますと、その絵が画として齎すところの効果の大部分はまず線に帰せなくてはならぬと思います。
 それほどこの線というものは日本画に取って重要な役目を持っているものでございまして、色彩を施すという技量よりも線を描くという技量の方がどの位重きをなしているか分りません。

 前に申します通り、線なくしては日本画は成立ちません。彩色をしなくとも絵は画に成り得ますけれども、線なくしては画に成り得ません。成り得ない事はないとしても、線を全然無視する事は出来ないものであります。
 そればかりか、実を申しますと、線だけで最も巧妙に出来た日本画は、まず色彩を施す必要のない程その画が貴い価値のあるものであろうと思います。こういう画には却って色彩を施すことはむだな事だという外はございません。私などでも往々そういう場合がございます。自分でやや満足に線が描けたと思います時には、どうもそれに彩色するのが惜しくて堪らないことがございます。
 これほど私どもは線に重きをおいて居りますが、今の若い画家達……新進の人ばかりではございません、中には私等古参の方までが、とんとこの線ということに放縦になりまして、むやみとこてこて色を塗ることばかりを能事としている方が多くなったように見受けられます。

 日本画の線は、その走り具合や、重たさや軽さによって、物体の硬軟や疎密は言うに及ばず、物その物の内面的実質までもその気持ちを如実に出すの妙があるのです。それでありますのに今の日本画家の内の多分の人は、この線の研究や鍛錬を軽んじて色を塗る事にばかり苦心をしていられるのは、日本画の持つ独自の特色を喪うものであると思われまして、誠に残念に思うところでございます。
 殊に若い画家達の描いた画……あの細い無造作で不作法な錬金を連ねたような拙ない線から成る、そして色彩でごまかしたような画、そんな画を見ますと私達は純真の日本画の為に涙が零れるような心持になります。
 その人達に言わせますと、色彩の塗抹は線が持ってくる効果よりも更に深く大き…

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