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栖鳳先生を憶う
せいほうせんせいをおもう
作品ID49731
著者上村 松園
文字遣い新字新仮名
底本 「青帛の仙女」 同朋舎出版
1996(平成8)年4月5日
初出「新美」1942(昭和17)年10月
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2009-07-03 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 さあ明治二十七、八年頃ですか、楳嶺先生や竹堂さんや吉堂さんなんどの方々がまだ生きていられ、栖鳳先生も三十歳になるやならずでその時分の絵の展覧会を今と比べて見ると、なんとのうのんびりとしていたようどす。その時分私が二十二歳で桃割髪に鹿の子を懸けて、ある人の手引で栖鳳先生に教えて頂くようになりましたのどす。その時分に何だかの寄付画であったと思いますが、尺八位の絹地に栖鳳先生が〈寒山拾得〉を描かれましたが、それを見て大そう感心しました。古画より生気溌剌として大変に当時評判どした。それをな、直写しさして貰いましてな……それから御殿に絵画共進会があった時に〈牧童〉を出品されましたが、二人の牧童が一人は居眠り、一人は寝転んでいる大きな絵で、これも大評判でなかなかの力作どした。これもな、直写しさして貰うたのどすが、時折に古い昔の粉本を出してそれを広げて見てその当時を憶い出します。
 栖鳳先生の教え方は、こうせいと言う様に、決して師匠が押し付けずに、そのものの個性と特徴とを引伸ばすように教えられ、暗示的でその時には先生の言われた事がわからなかったが、あとで考えて見て成る程と合点が出来るようにな……。それに対して筆を持ってじかに直されるのでなく、その順序を暗示的に導かれるのどす。私も一生懸命に勉強しました。一心になってな……。絵も写生や粉本ばかりでなく、古い絵の研究も怠らず、北野縁起絵巻なども先生につれられて写しに参りました。明治二十八、九年頃には歴史画が、そうまあ流行どすな、全国青年共進会に御苑の桜が咲き門外で供侍が待ち、新田義貞と勾当内侍を描いた大和絵式のものを出品しまして先生のお賞めにあずかった事を未だに忘れずに居ります。その時分は人物を大きく描かず風景と取り合わせた傾向のものが多かったようどす。先生は学校からお帰りになると塾生を親切に指導され、展覧会の出品もその後で描かれたもので、その親切さと御熱心な指導には感心さされて居りました。
 東京美術展覧会に昔出品された〈西行法師〉の図は墨絵の考案になったもので応挙を遥かに越えたものだと今でも浮かんで出て来ます……。それに、〈春の草叢〉と題して庭園の春の芭蕉の下に鼬を描かれた出品画なども大変に当時の画壇に反響を与えた、よい作でありました。
 七十七の喜の字のお祝いを致されおめでたい事どすと喜んで居りました。八十八のお祝いもされるだろうと思って居りましたのに……。未だ先生が亡くなられたような気がしまへんどす。
(昭和十七年)



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