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随想
ずいそう
作品ID49732
著者上村 松園
文字遣い新字新仮名
底本 「青帛の仙女」 同朋舎出版
1996(平成8)年4月5日
初出「帝国美術」1938(昭和13)年11月
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2009-06-17 / 2014-09-21
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 時代の移り変わりは妙なものである。そのころは新しく奇異の思いにも感じられなかったことが、後にふり返ると滑稽にも思われる。
 私は明治二十年、十三歳の頃京都の画学校に入ったが、その時分の学校は今の京都ホテルの処にあって、鈴木松年先生が北宗画の教授をされていた。半季ほどたってこの学校に改革が起こって松年先生は学校をやめられた。そんなことでその儘私も松年先生の画塾へ通うことになった。その当時に斎藤松洲さんという人が塾頭をしていたことを記憶する。私はちょうど六ヶ年間松年画塾にいて、十九歳の年に明治二十六年、楳嶺先生の塾へも通ってその後に竹内栖鳳先生の御訓導を受けた。新機軸への開拓に深く印象づけられて、幸いにも今日あるに到ったことは勿論、日本画の骨子に松年先生の賜物もあるが、栖鳳先生の偉大なる御指導の程にも敬慕と感謝の念は忘れることは出来得ない。
 真に現時の絵画を、過去のそれに比較するに及んでは、格段の趣きで感慨殊に深きを覚ゆる。ずっと以前に如雲社という会が京都であって、確か毎月裏寺町で開かれていたが、ここには京中の各派の社中の方々が思い思いの出品もされ、私もそのいいのをよく見取りもさせて貰った。ほんとうに楽しんで面白く、和気靄々裡に一日を過ごすといった風の会だった。時代の変化でそうした親睦さは今ではちょっと出来にくかろうけれど、こういう風の会はこれ迄この会以外には見られない位に考えられる。のんびりとしたいい会であったと思うと懐かしい。
 せめてこの様な会が当節でも一つ位あったらよかろうにと折ふしに思われる事でもある。そのころの美術雑誌で『煥美』というのがあって、いつかその雑誌で松年先生と久保田米僊さんとが、画論に争論の花を咲かせたことも覚えているが、世の中の向上とか進展などというものには、様々の議闘もまた争論も生れる、しかしよくも悪くもこれは過去をふりかえった時には、微笑ましい愉悦さを覚えしめるものと私は思えてならない。
(昭和十三年)



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