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女の顔
おんなのかお
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「青帛の仙女」 同朋舎出版
1996(平成8)年4月5日
初出「京都日出新聞」1905(明治38)年10月8日
入力者川山隆
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2009-03-26 / 2014-09-21
長さの目安約 2 ページ(500字/頁で計算)
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本文より




顔の時代変遷
 美人絵の顔も時代に依って変遷しますようで、昔の美人は何だか顔の道具が総体伸びやかで少し間の抜けたところもあるようです。先ず歌麿以前はお多福豆のような顔でしたが、それからは細面のマスクになって居ります。然しいずれの世を通じましても、この瓜実というのが一番美人だろうと思います。

顔の中心
 美人画の顔で一番何処を力を入れて描くかと申せば猶且眼です。眼付のよいのが一番でして、少々外の道具が悪くてもこの眼さえよければ絵が引立つものです。

描者に似る
 大変妙な事を申しますが、絵に描く人物の顔は総じて描いた者に似るもので、事に依りますと、猫や鹿でも画家の顔に似る事があります。これは、自分の顔だけは朝夕鏡で見て研究を積んで居りますから、筆を取りますと自然画に現れるのだろうと思います。誠に可笑しいものでございますよ。

自分がモデル
 モデルを使わないでもありませんが、こちらの思うようになって頂くのが気の毒で却って心配をしなければ成りませんから、私は自分をモデルとする事に致して居ります。あちらに大きな鏡が二面買って御座いますが、必要が起りますとその前で立ったり座ったりしてそれを写し、それから研究して画の材料と致します。勿論自分をモデルとすると申しましても、自分をありの儘画に描くのじゃ御座いませんので、それを材料にして変化するのであります。それからこの影法師が大変参考となりますもので、昼の間鏡に映しましても、外の物が同時に写りましたりしてどうも巧くまいらない時が御座いますが、そういう時は、この喜怒哀楽の表情は写生する事が出来ませんので、どうも自分をモデルに使わなければ仕方が御座いません。
(明治三十八年)



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