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旧聞日本橋
きゅうぶんにほんばし
作品ID4974
副題14 西洋の唐茄子
14 せいようのとうなす
著者長谷川 時雨
文字遣い新字新仮名
底本 「旧聞日本橋」 岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-07-29 / 2014-09-17
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 青葉の影を「柳の虫」の呼び声が、細く長く、いきな節に流れてゆく。
  ――孫太郎むしや、赤蛙……
 ゆっくりとした足どりで、影を踏むように、汚れのない黒の脚絆と草鞋が動く――小いさな引出しつきの木箱を肩から小腋にかけて、薄藍色の手拭を吉原かむりにしている。新道にはまだ片かげがあって打水に地面がしっとりとしている。
  ――しもたやのくせに店をもっている家――そうではなかったのかも知れない――閑散な店なのだったのかも知れないが、あんぽんたんはその家の、二間の障子がすぐはまっている店口に腰をかけて、まばらに通る往来の人を眺めていた。その家は一間巾位の中庭があったので、天窓からのような光線が上から投げかけられ、そこに植った植木だけが青々と光っていて、かえって店の中の方が薄っ暗かった。天井から番傘がつるしてあるだけを覚えている。眉毛をとった中年増の女房さんと、その妹だという女と、妹の方の子らしい、青い痩せた小さな男の子とがいた。
 学校の行きかえりにその家の前を通ると、白い障子を細目にあけて外を覗いているものがあったが、声をかけられたのはその近くだった。はじめは何処のお子さんと訊いたりして、姉妹で私の肩上げをつまんだり袂の振りを揃えて見たりしていたが、段々に馴染んで先方でも大っぴらに表の障子を明け開げて、店口に座って私の帰りを待っていてくれるようになった。山吹きの枝のシンを巧く長くだしてくれて、根がけにしてくれたのもその人たちだった。
 鼠とり薬を売る「石見銀山」は日中か夕方に通った。蝙蝠が飛び出して、あっちこっちで長い竹棹を持ちだして騒ぐ黄昏どきに、とぼとぼと、汚れた白木綿に鼠の描いてある長い旗を担ついで、白い脚絆、菅笠をかぶってゆく老人の姿は妙に陰気くさくいやだった。日中でも、
 ――いたずらものはいないかな……
という声をきくと、鼠でなくても、子供でも首をひっこめた。
 この家の女姉妹は、なんとなく女子供がいじって見たかったと見えて、私の髪を結ばせてくれといった。宅ではあんまりよろこばなかったが、彼女たちは私の短かい毛をひっぱって、練油と色元結でくくりつけるのを悦んだ――あたしは店さきに腰をかけて、足をブランブランさせたり、片っぽ飛ばした下駄を足さぐりしたりして、首だけ凝と据えている。
 青葉がもめて、風がすっと通ってゆき、うすい埃りがたつと、しんとした正午近くは、「稗蒔き」が来る。苗売りが来る、金魚やがくる、風鈴やが来る。ほおずき売りが来る。汗ばんで来たなと思うころには、カタカタと音をさせて、定斎屋がくる、甘酒売りがくる。虫売りがくる――定斎屋と甘酒やだけが真夏になればなるほど日中炎天をお練りでゆくが、その他は小かげをえらんで荷をおろす。丁度その家の隣りが堀越角次郎という、唐物問屋の荷蔵の裏になって、ずっと高い蔵つづきの日かげなので、稗蒔屋はのどかになたま…

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