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奥州における御館藤原氏
おうしゅうにおけるみたちふじわらし
作品ID49760
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「喜田貞吉著作集 第九巻 蝦夷の研究」 平凡社
1980(昭和55)年5月25日
初出「民族と歴史 第七巻第六号」1922(大正11)年6月
入力者しだひろし
校正者Juki
公開 / 更新2013-05-24 / 2014-09-16
長さの目安約 35 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一 緒言

 余輩は前号において征夷大将軍の名義について管見を披瀝し、平安朝において久しく補任の中絶しておったこの軍職が、源頼朝によって始めて再興せられたものである事情を明かにし、その以前に木曾義仲がすでに征夷大将軍に任ぜられたとの古書の記事があり、それが古来一般に歴史家によって認められているとはいえ、その実義仲の任ぜられたのは頼朝討伐のための征東大将軍であって、征夷ではなく、また内容からも征夷大将軍というべきものではなかった次第を明かにしたのであった。
 かくてさらに頼朝が征夷大将軍に任ぜらるるに至った道筋に論及し、この補任はもともと彼の多年の希望であり、朝廷においても久しい間の懸案であったが、官僚の間にもその反対者があり、特に後白河法皇がそれを御許容にならなかったので、法皇崩御後の初度の朝政において、始めてその目的を達することが出来た事情を詳述したのであった。頼朝がこれを希望したのは、奥州における俘囚の長たる御館藤原氏が、院宣を奉じて頼朝の背後を窺うのに対して、これを討伐すべき適当なる名分を得んがためで、今一つには京都なる中央政府以外において、別に鎌倉に一新政府を組織するについては、これを将軍出征中の軍政府、すなわち幕府に擬することが、最も都合がよかったという事情もあったのであろう。しかも朝廷においてこれが任命に躊躇し給うたことは、一には藤原秀衡をして常に頼朝の背後を窺わしめ、その勢力を牽制せしめ給わんとしたとの理由もあるべく、一には院宮・権門らがかの豊富なる奥州の貢金に未練を残したという事情もあったのであろう。今本章は奥州におけるこの御館藤原氏の地位を論じ、次に当時の奥羽における民族のことにまで及んで、もって前号末尾における発表の予約を果たし、頼朝の補せられたる征夷大将軍の意義に関する所論を完うせしめようと思う。

二 御館藤原氏の富強と王地押領の事実

 藤原秀衡は清衡の孫で、祖父以来今の陸中の主要部分たる胆沢・和賀・江刺・稗貫・紫波・岩手の六郡を領し、さらに南に出でて磐井郡の平泉に根拠を構え、砂金その他の豊富なる国産によって豪奢を極め、直接音信を京師に通じて院宮・権門・勢家に贈賄し、その威はよく国司を圧迫して、国司もこれをいかんともすることが出来ず、隠然一敵国の観をなしたのであった。されば心あるの士はこれを憤慨し、彼らは王地を押領するものとして、これを近づけるを欲しなかった。その史料は断片ながら多少は存している。『古事談』に、
 俊明卿(宇治大納言隆国三男、大納言民部卿皇大皇后宮大夫源俊明、永久二年薨)造仏之時、箔料ニトテ清衡令レ献二砂金一云々。彼卿不レ請レ之、即返二遣之一云々。人問二子細一。答云、清衡令レ押二領王地一。只今可二謀反一者、其時ハ可レ遣二追討使一之由可二定申一也。仍不レ可レ請レ之云々。
とある。これは俊明が特に剛直であったがために、こ…

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