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記憶のまゝ
きおくのまま
作品ID49769
著者長塚 節
文字遣い旧字旧仮名
底本 「長塚節全集 第五巻」 春陽堂書店
1978(昭和53)年11月30日
初出「アララギ 第六卷第十一號 伊藤左千夫追悼號」1913(大正2)年11月15日
入力者林幸雄
校正者岡村和彦
公開 / 更新2016-04-03 / 2016-03-17
長さの目安約 16 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 故人には逸話が多かつた。數年間交際を繼續して居た人々は誰でも他の人には知られない、單に自分との間にのみ起つた或事實の二つや三つは持つて居ないことは無いであらう。それが大抵は語れば一座が皆どつと笑ひこけるやうなことのみに屬して居るらしい。一體故人の生涯は恐ろしい矛盾の生涯であつた。矛盾といふことは人生の常態であるにしても故人のは殊に甚だしいのである。あの何事にも理窟が立つて時としては其弊に墮する程滔々として自己の意見と[#「意見と」はママ]發表し、往々にして對手を感服させるといふよりも寧ろ威壓して畢ふといふ程の力を有して居たにも拘らず、其相貌の何處といふことなしに滑稽な分子を含んで居て、聰明な後進の人々からは何時でも竊に微笑を浴せ掛けられて居たらうと思はれるのである。それが非常に度の強い眼鏡を二つも掛けなければ能く見ることが出來ない程の近視眼から遂に物事に間が拔けて勢ひ滑稽の分子が附纒うたに相違ない。
 日本新聞で第四回目かの短歌の募集があつた時、故人と格堂君と自分と三人が根岸庵に會合して正岡先生の下見をして置いた應募歌の中から先生の入選に成つたものを格堂君が書き拔いて、其一つ/\に就いて各自に異存があれば苦情を持ち出すことにして、牀上の先生も成るべく數の少くなる方がいゝからどん/\減りますよ抔と、唯さへ小さく成つて居た自分を笑ひながら揶揄はれたことである。其頃は自分の製作の善惡などは問題ではなく唯一つでも餘計に選ばれて晴の紙面に印刷されるのを無上の手柄でもした樣に喜んで居た罪のないあどけない然しながら誠實な時代であつた。當時相當の年齡に達して居て、實社會に立つても堂々たる一家の主人であつた故人の如きも全くそれであつた。格堂君が日光山の觀楓をして一時に數十首を日本紙上に飾つた時、矢も楯も堪らなくて結城素明君を唆かして中禪寺の湖水に舟を浮べて恐しい長篇の長歌を作つた。それが日曜附録か何かに結城君の插繪があつて掲載になつた。唯それ丈では何でもないが後年自分が根岸庵で先生の手づから此の反古の中で欲しいものが有つたら選り出して持つて行けといはれた籠の中に知人の手紙類も幾通かあつて、ふと目についたのは故人が彼の中禪寺湖の長篇に就て哀願愁訴した長い手紙であつた。最初餘り先生の氣に入らなかつたものと見えて手紙の文句によると、此の一篇が沒書にならうものならば自分はどうしても格堂に合せる顏がない。だから惡い箇所があればどうか指示して貰ひたい。幾十百回の改竄も決して苦いとは思はないといふ意味のことが熱誠を込めて書いてあつた。先生も此には困つたであつたらう。だから紙面も立派に印刷された時の作者の滿足はどんなであつたらうか。僕の長歌一篇は君の短歌百首に匹敵すると格堂君へ手紙で自慢して遣つたと自分に語つたのは其當時であつたと記憶して居る。格堂君が苦笑したのを自分は見ないけれども其事を…

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