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「プラーゲ旋風」の話
「プラーゲせんぷう」のはなし
作品ID49777
著者山下 博章
文字遣い新字新仮名
底本 「戦時下の人権擁護 ―弁護士山下博章の論争―」 研文社
2000(平成12)年6月20日
初出「法律新聞 第四一四五、四一四六号」1937(昭和12)年7月3日、5日
入力者鈴木厚司
校正者クッキー缶
公開 / 更新2013-08-29 / 2014-09-16
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 神風の日本にも、今は「プラーゲ旋風」とやらが吹きまくる――と云っても、楽壇人を除いては「プラーゲ旋風」とは何か御存じのない向も多かろう。
 楽壇人でも「プラーゲ旋風」と云う名前だけは知っていようが、其の正体を理解している人は少ないようである。プラーゲ旋風が果して国難的旋風であるか、楽壇啓蒙の薫風であるか――それとも国辱的旋風であるか――の正体を掴み、其の捲き起こる原因を究明して、之に対処していたならば、今頃は旋風一過して太陽の慈光が遍照していよう筈なのに、旋風が益々力を加えつつある所を見ると、日本楽壇に人無きの嘆に堪えぬ。此の稿が楽壇啓蒙の一端ともなれば、筆者の本懐は之に過ぎない。

一 プラーゲ旋風とは
 修正ベルヌ条約に対する音楽的著作権に関する留保が昭和六年七月十五日外務省告示第六〇号を以て抛棄されて以来、ドイツ人のドクトル・プラーゲが欧米各国の外国著作権の日本に於ける管理者として、外国著作権の保全と実行のため、縦横無尽に活躍を始めた。従来外国著作物を縦横無尽に利用していた楽壇人にとっては、之が重大な脅威と為り、何時の間にか之にプラーゲ旋風なる尊称?を与えるようになった。最初に此の尊称を奉ったのは東京朝日や読売の記者であったろう。

二 無軌道蹂躙戦法
 プラーゲ旋風を如何にして退治しようかと苦心した結果、楽壇人とジャーナリストが提携して実行したのは、無軌道の蹂躙戦法であった。楽壇人が一致してプラーゲ管理の楽曲に対し一文も使用料を支払わず、滅茶苦茶に其の権利を侵害することにすれば、プラーゲも兵糧が欠乏して日本国を退去するであろうと云う、非日本的な楽壇人の脳味噌から捻出された策戦であった。そこで東京音楽協会では、昭和九年になってから、プラーゲとの従来の協定を破棄し、プラーゲの権利を否認すると云う態度に出て、会員に対して其の旨の指令を発した。其の結果外国著作権の侵害事件が頻出するに至ったが、いずれも裁判所の仮処分命令で上演を差止められたり、著作権侵害の告訴を受けたりして、屈伏するの余儀なきに至った。
 東京音楽協会員の協会に対する不平と不満とは、漸く爆発しそうな形勢になった。万事協会で責任を持つからプラーゲの権利を否認せよとの指令を出すものだから、プラーゲに挑戦したら、一たまりもなく惨敗の苦杯を喫した。然るに協会では何等為す所もなく之を傍観している。こんなことでは協会頼むに足らぬ――と云う声が充満して、東京音楽協会なるものは無為無力にして無意味な存在と化し、奥田良三氏や照井栄三氏は、同志を糾合して新協会を結成すると云うような事態にまで発展した。

三 白旗を掲げた読売新聞
 プラーゲの旋風退治に最も勇敢なのは読売新聞であった。楽壇人の「無軌道蹂躙戦法」に相呼応して、読売新聞は昭和九年三月十五日の其の紙上に、プラーゲはパリの著作権聯盟(カルテル)の真正の代…

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