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教育の事
きょういくのこと
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「福沢諭吉家族論集」 岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年6月16日
初出「福澤文集 巻之一」1878(明治11)年1月
入力者田中哲郎
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-03-18 / 2014-09-16
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 一人の教育と一国の教育とは自ずから区別なかるべからず。一人の教育とは、親たる者が我が子を教うることなり。一国の教育とは、有志有力にして世の中の事を心配する人物が、世間一般の有様を察して教育の大意方向を定め、以て普く後進の少年を導くことなり。
 父母の職分は、子を生んでこれに衣食を与うるのみにては、未だその半ばをも尽したるものにあらず。これを生み、これを養い、これを教えて一人前の男女となし、二代目の世において世間有用の人物たるべき用意をなし、老少交代してこそ、始めて人の父母たるの名義に恥ずることなきを得べきなり。
 故に子を教うるがためには労を憚るべからず、財を愛しむべからず。よくその子の性質を察して、これを教えこれを導き、人力の及ぶ所だけは心身の発生を助けて、その天稟に備えたる働きの頂上に達せしめざるべからず。概していえば父母の子を教育するの目的は、その子をして天下第一流の人物、第一流の学者たらしめんとするにあるべきなり。
 ある人云く、父母の至情、誰かその子の上達を好まざる者あらんや、その人物たらんを欲し、その学者たらんを願い、終に事実において然らざるは、父母のこれを欲せざるにあらず、他に千種万状の事情ありて、これに妨げらるればなり、故に子を教育するの一事については、只管父母の無情を咎むべからずと。この説あるいは然らん。禽獣なおその子を愛す、いわんや人類においてをや。天下の父母は必ずその子を愛してその上達を願うの至情あるべしといえども、今日世上一般の事跡に顕われたる実際を見れば、子を取扱うの無情なること鬼の如く蛇の如く、これを鬼父蛇母と称するも妨げなき者甚だ多し。あるいはその鬼たり蛇たるの際にも、自ずから父母の至情を存するといわんか、有情を以て無情の事を行えば、余輩は結局その情のある所を知らざるなり。
 教うるよりも習いという諺あり。けだし習慣の力は教授の力よりも強大なるものなりとの趣意ならん。子生まれて家にあり、その日夜見習う所のものは、父母の行状と一般の家風よりほかならず。一家の風は父母の心を以て成るものなれば、子供の習慣は全く父母の一心に依頼するものというて可なり。故に一家は習慣の学校なり、父母は習慣の教師なり。而してこの習慣の学校は、教授の学校よりも更に有力にして、実効を奏すること極めて切実なるものなり。今この教師たる父母が、子供と共に一家内に眠食して、果たして恥ずるものなきか。余輩これを保証すること能わず。前夜の酒宴、深更に及びて、今朝の眠り、八時を過ぎ、床の内より子供を呼び起こして学校に行くを促すも、子供はその深切に感ずることなかるべし。妓楼酒店の帰りにいささかの土産を携えて子供を悦ばしめんとするも、子供はその至情に感ずるよりも、かえって土産の出処を内心に穿鑿することあるべし。この他なお細かに吟味せば、蓄妾淫奔・遊冶放蕩、口にいい紙に記すに忍…

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