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旧聞日本橋
きゅうぶんにほんばし
副題20 西川小りん
20 にしかわこりん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「旧聞日本橋」 岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-08-04 / 2014-09-17
長さの目安約 22 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 夏の朝、水をたっぷりつかって、ざぶざぶと浴衣をあらう気軽さ。十月、秋晴れの日に張りものをする、のんびりした心持は、若さと、健康に恵まれた女ばかりが知る、軽い愉快さである。親しいもののために手軽くつくる炊事の楽しさと共に、男や、貴人の知らない心地であろう。
 私はときものの興味を、今でも多分にもっている。背筋の上から、ずっと下の針止めに鋏を入れておいて、ツーと一筋に糸をぬくのがすきだ。それは空想好きの私のよろこんで引きうけた、娘時代の仕事のひとつであった習慣からでもあろう。ときものの糸と共に、つきない空想を、とりとめもなく手ぐりだし楽しんでいたのである。だが、その習慣がまた、ずっと昔の、あんぽんたん時代の家庭行事の一つに、夜ごと養われていたのでもある。
 奥蔵前の、大長火鉢をかこみ、お夜食のすんだ行燈の許の集りは、八十八で死ぬ日まで祖母が中心だった。ある年は、行燈の影絵を写してよろこんだ私だった。ある年は、小切れをもらってお手玉をつくる小豆を、お盆の上で選っていた。ある年はお手習いしていた。またある年は、燈心を丸めて、紙で包んだ鞠を、色糸で麻の葉や三升にかがっていた。ある年は、妹たちときしゃごをはじき、ある年はくさ草紙を見ていた。母はつぎものをする時もある、歌舞伎(芝居雑誌、二六通や水魚連という連中から贈ってきた)の似顔絵を見ている事もあるが、かき餅を焼いたり蕎麦がきをこしらえてくれたりした。女中たちは雑巾をさしたり、自分のじゅばんの筒袖をぬったりした。
 思えば、そういう時に、祖母は修身談をきかせたのであった。だが、それが、どんなに面白かったろう。後にきく種々な修身談は、はじめから偉そうに、吃々と、味のない、型にはまりきったことをいうのばかりだ。それは、語るものが、自ら教えるという賢人面、または博識顔をするからだ。そして、いう事が非凡人のことばかりだからだ。
 ところが、祖母は面白い凡人なのだ。この祖母、前にも言ったかも知れないが字を知らない。きくところによると無学文盲とは、落語家などにいわせると馬鹿の代名詞だが、決してそうでないので、ただ、学をまなばず、字に暗しであるので、文盲とは、文字だけに盲目であるというのだ。この祖母はまさにそれを証拠だてている。心の眼は甚だ明らかであるのに、文字だけが見えないのだ。気の勝った人だったから、あるいは文字をよく空んじていたら、おそらくあんぽんたんの祖母ではなかったろう。
 だが、この祖母、一市井人として、八十八の老婆で死んだのだが、手習師匠へもってゆく、お彼岸の牡丹餅をお墓場へ埋めてしまったのから運命が定まったのだといえば、人間の一生なんて実に変なものだ。とはいえ環境が人をつくるというが、祖母自身も、好学心がなかったのだともいえる。しかし、徳川文明の爛熟の結果、でかたんになった文化の昔、伊勢のお百姓の娘にそれをのぞむの…

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