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「日本民族」とは何ぞや
「やまとみんぞく」とはなんぞや
作品ID49803
副題日本民族の概念を論ず
やまとみんぞくのがいねんをろんず
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」 河出書房新社
2008(平成20)年1月30日
初出「民族と歴史 第一巻第一号」1919(大正8)年1月
入力者川山隆
校正者しだひろし
公開 / 更新2010-10-09 / 2014-09-21
長さの目安約 13 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 本誌の創刊に際して、余輩の常に使用するに慣れたる「日本民族」なる語が、本来何を意味するか、「日本民族」とは本来いかなるものなるかを説明して、あらかじめ読者諸賢の理会を請うは、余輩が本誌を利用してその研究を進める上に、最も必要なる事と信ずる。
「日本民族」なる語は、近時広く学者・政治家・教育家等の間に用いられて、暗黙の間にほぼその理会は出来ている事とは思われるが、しかもなお時に余輩とは違った意味に解し、「日本民族」即「天孫民族」と考えているものも、世間には少くない様である。
 日本民族すなわち天孫民族であるとの思想は、実際上多数の帝国臣民の、斉しく抱懐するところである。そして余輩もまた、或る意味においてこれを信ずる一人である。我ら帝国臣民は、実にその古伝説の教うるところにしたがって、天孫の嫡統を継承し給える我が皇室を宗家と仰ぎ奉り、その天壌無窮の皇運の下に、協同一致して国家の発展を希い、国民の幸福を図っている民族に外ならぬのである。しかしながら、さらにその起原に遡りて研究を重ねて見ると、そこには種々雑多の異民族の、混淆共棲の事実を否定する事が出来ぬ。それはただに考古学者や、人類学者・土俗学者・社会学者等が、その専門学的見地よりこれを立証するのみならず、我が古伝説や歴史の示すところも、また正にこれを証明しているのである。考古学者は我が国土に存在する遺物・遺蹟を調査して、種々異りたる系統の民族の、かつて存在せし事実を認めている。土俗学者は我が国民の古今の風俗・習慣を調査して、種々異りたる系統の遺風の、今なお存在するの事実を認めている。人類学者・社会学者等、またそれぞれに、その研究の立場から、ただに種々系統を異にする民族の混淆共棲するものあるのみならず、時には地方的にも、しばしばその差異の存在が認められる事を立証しているのである。
 これらの諸研究は、いずれも実地の上に立脚したもので、その立証する事実は、到底これを否定することの出来ない性質のものである。
 ここにおいてか余輩は、歴史家としての立場から、これらの事実の由って起った経過を研究し、これに依って国民思想の根柢を固むるの資料を江湖に提供することを以て、目下における必要なる事業と思惟し、これを以て史家当然の責務の一つたることを自認するものである。余輩が微力を顧みず、本誌を発刊するに至った理由の一つの実にここにあることは、発刊趣意書によって、既に読者諸賢の諒解を得た事と信ずる。
 我ら国民の大多数は、その家系について確かな伝えを有しておらぬ。その源平藤橘を自称する系図の如きも、史家の研究を経てその確実を証明しえるものは、極めて寥々の数であると謂ってよい。しかしながら我らは、多数の国民は我が記紀の古伝説の教うるところにしたがって、我が皇室の御先祖とともに、高天原なる祖国からこの島国に渡来したものの後裔、もしくはそ…

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