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旧聞日本橋
きゅうぶんにほんばし
作品ID4981
副題21 議事堂炎上
21 ぎじどうえんじょう
著者長谷川 時雨
文字遣い新字新仮名
底本 「旧聞日本橋」 岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-08-04 / 2014-09-17
長さの目安約 11 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 明治廿二年二月の憲法発布の日はその夜明けまで雪が降った。上野の式場に行幸ある道筋は、掃清められてあったが、市中の泥濘は、田の中のようだった。
 上野広小路黒門町のうなぎや大和田は、祖母に金のことで助けられていたので、その日も私たち子供に、最大公式の鹵簿を拝観させようと心配してくれた。
 うなぎやの親方は、私の父に揚板の下の鰻を見せて、あらいのを笊にあげて裂いた。父は表二階で盃を重ねはじめた。今朝から、というより昨日から、芽出度芽出度といって、何かにつけてはお酒を飲んでいるので、あんぽんたんはそれをまた心配していた。
 なぜなら、その目出たい日の午前、文部大臣森有礼が殺されたと、玄関から駈け込んできて知らせたものがあったとき、わけも知らず胸がドキンとした。またすぐあとで、西野文太郎がギザギザに切殺された――死骸を入れた棺桶が通る――血がポタポタ垂れている――と、ほんとか嘘か、ワッという騒ぎが来て、越中島の練兵場で、ズドンズドン並んで、鉄砲でやられているのと、盛んな蜚語が飛んで、人々は上を下へと、悦んだり青くなったり、そのなかを市中は、菰樽のかがみをぬいて、角々での大盤振舞なのだから(前章参照)、幼心には何がなんだかわからず、大きな鰻をさかせたり、お酒をのんだりしている父と、戸外にいることがたよりなかった。
 思えば父たちのよろこびは、父祖みな、町人と賤しめられてきた長い長い殻を破りうる、議会政治をむかえるため、ここに新憲法の成立発布を、どんなにどんなにか祝したく思ったのであろう。江戸に生れて、志望を立てたのか、流行でなったのか知らないが、剣を学んだ壮士が、幕府の倒壊をよそに見、朝臣となり、転じて自由党に参加して野人となり、代言人となった彼は、自由民権といい、四民平等ということに、どんなにか血を湧かしたのであろう。それは一人の江戸町人の忰ばかりではない、国をあげて平民はよろこんだのだ。
 ――俺たちの時世がくる――
 それが六十二議会で、議会は爛れきったものになって民心に嫌厭をさえ感じさせるようになろうなどとは思いもかけず、彼は赤黒くなるほど飲んで祝したのだ。

 私は十才にならない小耳にも、よく父が、
「俺は六十になったら代言人(弁護士となっていたかもしれない)をよす。若いものも、華やかに隠退させるといっている。」
と口ぐせのように言っていたのを覚えている。淡白で、頑固で、まけずぎらいで、鼻っぱりだけ強い、やや軽率と思われているほど気の早いところのある、粘着性のうすい、申分ないほど、末期的江戸気質を充分にもった、ものわかりはよいが深い考えのない、自嘲的皮肉に富んだ、気軽で、人情深くユーモアな彼は、なんとしても自分が法律なんぞという畑の人間でないことを、事ごとに思いあたっていたものであろう。だが、生れ土地で、地盤というものを、すこしでももっていたためか、選挙時…

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