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時勢と道徳観念
じせいとどうとくかんねん
作品ID49810
副題大賊小賊・名誉の悪党
だいぞくしょうぞく・めいよのあくとう
著者喜田 貞吉
文字遣い新字新仮名
底本 「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」 河出書房新社
2008(平成20)年1月30日
初出「民族と歴史 第二巻第四号」1919(大正8)年10月号
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-08-05 / 2014-09-16
長さの目安約 4 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 虎関の作と云い、玄慧の作とも言われる異制庭訓往来に、

賊に大小あり、小罪既に大罪よりも軽し。小賊何ぞ大賊に等しからんや。窃盗・強盗は山賊・海賊の比にあらず。山賊・海賊は他領押両(領)の大賊党に比せず。又位を諍ひ国を奪ふの大盗よりも軽し。然らば末代は皆賊世なり。たゞ我一人のみにあらざるなり。夫れ殷湯の夏を奪ひ、周武の紂を伐つ、何ぞ尭舜揖譲の政に同じからん。全く聖主賢君の風にあらず。

とある。甚だ以て穏かならぬ言い分ではあるが、賊の立場からの弁解としてはその謂われがないでもない。時勢と境遇とによって人間の思想も感情も変る。平日には一人を殺傷しても警察が大騒ぎをして検挙につとめるが、戦時に敵を多く殺したものが殊勲と賞賛せられるのは眼前の事実だ。切取強盗は武士の習いとして憚らない時代もあった。自分で海賊大将軍と誇称して威張ってみた時代もあった。名誉の強盗、いみじき盗賊の語は、むかしの物語物にしばしば繰り返されている。この場合盗賊必ずしも物取りではない。今昔物語「阿蘇史盗人にあひて謀りて遁るる語」に、阿蘇史某が夜更けて西の京より帰る途中で強盗に遇って、甘くこれを欺き無事に難を免れた話がある。家に帰ってその妻に途中の出来事の話をすると、妻はひどく感心して、さてさてあなたはその盗人にも増した御心だと云ったとある。それを今昔物語の作者が批評して、阿蘇の史は「長け短なりけれども、魂はいみじき盗人にてぞありける」と云っている。盗人とはすなわち剛胆者の称だ。徳川時代には海賊はすなわち海軍であった。海賊奉行はすなわち海軍奉行だ。今の東京日本橋区第一銀行の際の橋をもとは海賊橋と云った。そこに海賊方向井将監の屋敷があったからの名である。しかるに明治になっては海賊の称穏かならずとあって、その名をも海運橋と改めて、この歴史的紀念の佳名を失ってしまった。海賊藤原純友は従五位下の位を以て誘われたが、彼はこれに応ずべく余りに剛胆であった。彼は今昔著者の所謂「いみじき盗人」であった。それが為に彼は長く史上に賊名を歌われている。もし彼が今少しく怯懦であったならば、或いは名誉の勇士としてその美名を後世に伝えたかもしれない。海賊大将軍の後裔が、祖先の武功を後に伝えて大名となっているものも珍らしくはない。
 悪源太義平・悪七兵衛景清は、ともにその叔父を殺したので「悪」の名を得たと解せられているが、必ずしもそうとは思われない。山法師が一般に悪僧と呼ばれ、勇猛なる武士がしばしば悪党と呼ばれたのも彼らが強かったからの名だ。強勇と盗賊と機転の利くのとを一括して悪党と言ったのである。源平盛衰記に伊勢三郎義盛を批評して、「究竟の山賊・海賊・古盗人の謀賢き男なり」と云ってあるのも、必ずしも彼が盗賊だという訳ではあるまい。延暦十七年二月に、群盗を停宿して百姓を侵犯したという罪で淡路に流された美濃の国人村国連悪人とい…

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