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周防石城山神籠石探検記
すおういわきやまこうごいしたんけんき
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」 河出書房新社
2008(平成20)年1月30日
初出「歴史地理 第一五巻第三号」1910(明治43)年3月号
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-09-11 / 2014-09-16
長さの目安約 12 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 明治四十二年十二月三十日、世間では年末だ師走だと餅搗きやら懸取りやらに忙しく騒いでいる中を東京帝国大学の嘱によって石城山神籠石探検の為に登山した。同行者は日本歴史地理学会出張員藤井、宮崎の両文学士と芦田伊人氏とで、別に、九州における熱心家にその人ありと知られたる小倉中学校長文学士伊東尾四郎君は、わざわざその任地から来会され、遺蹟報告者熊毛郡視学西原為吉君をはじめ、有志の人々六七名、また案内かたがたともに登山せられた。
 石城山の神籠石は、この種の遺蹟が本州にも存在していることを始めて証拠立てたもので、神籠石研究上に一つの記念となすべきものである。
 余輩が今回さらに神籠石について研究を重ね、これを世間に吹聴し、遂にこの「神籠石号」を発行するまでに至った動機は、前記西原君によってこの遺蹟が発見された事であった。西原君は福岡県の人で、神籠石についてはかねて熟知されている。先年余が筑後女山の遺蹟を調査した際にも、同君は親しく案内の労を執られた。その西原君が当郡の視学として転任されたのは、多年埋没して世に忘れられていた当山の大遺蹟が、いよいよ世に出るべき機運を造ったものだ。
 石城山には延喜式内石城神社がある。今は郷社の社格であるので、郡視学たる西原君は郡長に代り奉幣使として当神社祭典の際に参向した。当山にはかねて山姥の穴として知られた四つの穴がある。西原奉幣使は登山の為にこの穴を実見し、その形式の女山の水門に酷似している点に注目され、これを連絡すべき列石を捜索された。果然或いは埋没し或いは崩壊しながらも、なお明らかにそれと認むべき証蹟を発見し、すなわち余にあてて山内古図とともに報告されたのがすなわち余らの今回の探検となった道筋である。
 山陽鉄道田布施駅から西北に進むこと二十余町にして早くも麓に達した。山は海抜三百五十二メートル、さして高いと云えぬながらも、群小諸山の間に嶄然頭角を現わしている。南口より上り、石城神社の楼門を見、妙見宮のほとりに至れば、そこには県会議員難波作之進君、当社社司石原堅磐君、塩田村長田中邦五郎君、同村小学校長石川健輔君はじめ、有志の方々十余名一行を待ち合され、湯を沸かして登山の労を慰せられた。ここにおいて同勢約三十名、石原社司の嚮導で周ねく山中の遺蹟を巡覧した。西原君の発見以来有志家の登山もあり、石原社司の調査もあって、かねて知られたる四つの穴以外、各所に列石の存在やら、クツ石と俗称する種々の工みを施した大石やらを方々で発見されたのである。説明を聞きつつこれを見るに、穴はすなわち女山式の水抜き穴で、これを連絡している筈の列石の明らかに点綴さるるところ、疑いもない神籠石だ。そもそも当山における神籠石の遺蹟は[#「遺蹟は」は底本では「遣蹟は」]、古人は既に熟知していたものと見えて、元禄十年の撰にかかる石城神社の縁起には、明らかに、

当山は…

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