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法隆寺再建非再建論の回顧
ほうりゅうじさいけんひさいけんろんのかいこ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「先住民と差別 喜田貞吉歴史民俗学傑作選」 河出書房新社
2008(平成20)年1月30日
初出「夢殿叢書 第二冊」1934(昭和9)年12月号
入力者川山隆
校正者門田裕志
公開 / 更新2011-08-10 / 2014-09-16
長さの目安約 51 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

一 はしがき

 余輩が明治三十八年五月を以て、所謂法隆寺再建論を学界に発表してから、早くも三十年の星霜が流れた。当時余輩は現存の法隆寺金堂・塔婆・中門等の古建築物に関して、該寺が天智天皇九年庚午四月三十日夜半の大火に一旦焼失し、その後いつの頃からか再建築に着手して、奈良朝の初め頃までにはほぼ完成を見るに至ったものであることの前提の下に、所謂非再建論に対して素人の無鉄砲なる駁論を発表したのであった。しかもその論鋒が甚だ鋭利にして、文辞辛辣を極めたものであったが為か、図らずも当時の学界に一大センセーションを捲き起し、爾後数ヶ月間は甲論乙駁、盛んに雑誌の紙面を賑わしたものであった。しかしながら当時余輩に対する直接の反駁としては、畢竟非再建論者が主としてその芸術史的見地より、これらの建築物が到底大化以後の所産でありえないと云う実物上の立論を繰り返したもののみで、文献上より余輩の立論に対して、学界を首肯せしむる程の議論には終に接する事が出来なかったのであった。したがって余輩のさきに発表したところの不完全なる論旨は、今もなおほぼ無疵の儘に保存せられているのである。しかも文献的資料の扱いに慣れざる世間の人々は、失礼ながら余輩の所論を読んでこれを理解する程の能力なく、或いは当初より余輩の所論を熟読してみる程の親切もなく、再建論者が相変らずその再建論を繰り返しているのを見て、為に多数の傍観者はこの法隆寺再建非再建の論が、なお依然として未解決のままに遺されているかの如き感を懐いたままに、爾後三十年の歳月は空しく推移したのであった。しかしながら法隆寺が天智天皇の九年に一屋無余の大火災の為に、ことごとく烏有に帰したとの日本紀の記事は絶対に疑うべからざるものであって、これを否定せんとする一切の議論がことごとく妄想に過ぎざることは、余輩の所論すでにそのすべてを尽くし、余輩としてはもはやこれに加うべき何物をも持ち合わさないのである。したがって余輩は、時日の経過が早晩これを一般に諒解せしむべき機運を招来せん事を予期して、稀に異説の発表があっても深く意に介する事なく、余輩にとってむしろ余技とも見るべきこの問題は自然等閑に附されがちであった。しかるに近年防火水道布設の為に境内地発掘の事あり、引続き五重塔心柱礎内の秘密の発見の事などがあって、これが為に学界を刺戟した場合が多く、爾来新進の諸学者によって、この久しく下火とも謂うべき状態になっていた法隆寺の問題に関して甚大の注意が惹き起され、三十年前の不完全なる余輩の旧説までが、しばしば再検討に附せられる様になった。ことに最近該寺建築物の根本的修理が施さるる事となって、一層学界の注目がこの寺に集注せられ、種々の新発見とともに研究は次第に精緻の域に向って進みつつあるのである。すなわち本誌編者の需めに応じて、いささかこの問題に関する余輩の回顧を筆録し、…

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