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旧聞日本橋
きゅうぶんにほんばし
副題22 大門通り界隈一束(続旧聞日本橋・その一)
22 おおもんどおりかいわいひとたば(ぞくきゅうぶんにほんばし・そのいち)
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「旧聞日本橋」 岩波文庫、岩波書店
1983(昭和58)年8月16日
入力者門田裕志
校正者松永正敏
公開 / 更新2003-08-10 / 2014-09-17
長さの目安約 7 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 あたしの古郷のおとめといえば、江戸の面影と、香を、いくらか残した時代の、どこか歯ぎれのよさをとどめた、雨上りの、杜若のような下町少女で、初夏になると、なんとなく思出がなつかしい。
 土一升、金一升の日本橋あたりで生れたものは、さぞ自然に恵まれまいと思われもしようが、全くあたしたちは生花の一片も愛した。現今のように、ふんだんに花の店がない時分だから、一枝の花の愛しみかたも格別だった。紅梅が咲けば折って前髪に挿し、お正月の松飾りの、小さい松ぼっくりさえ、松の葉にさして根がけにした。山吹の真白なじくも押出して、いちょうがえしへかけた。五月の節句には菖蒲の葉を前髪に結んだり、矢羽根に切ったのを簪にさしたものだった。
 新藁は、いきな女の投島田ばかりに売れるのではなく、素人でも洗い髪を束ねたりしてよく売れた。燕の飛ぶ小雨の日に、「新藁、しんわら」と、はだしの男が臑に細かい泥を跳ねあげて、菅笠か、手ぬぐいかぶりで、駈足で、青い早苗を一束にぎって、売り声を残していった。
 水玉という草に水をうって、涼しくかけたものだが、みんな一時のもので、赤くひからびるまではかけていない。直にかけかえる手数はいとわなかった。一たい、平日から油染んだ髪をきらっていたから、菅糸だって、葛引だって、金紗(元結ぐらいな長さの、金元結の柔らかい、縒のよい細いようなのを、二、三十本揃えたもの。芝居の傾城の鬘[#「鬘」は底本では「鬢」]にかけてあるのと同じ)だって、プツンと断って、一ぺんかけただけだった。
 深窓な育ちでも、どこか女伊達めいた気風をもって、おそろしく仁義礼智の教えを守って――姿の薄化粧のように、魂も洗おうとした。この二行ばかりの文章は、文飾のようにもとられようが、濃かれ薄かれ、そんな気持ちはたしかにあったのだ。人と、その性質は別としても、その地方色としては――

 古い日記をくりかえして見ると、父が話してくれたことが書いてあるので、此処へ抜いて見よう。
 ――父の晩酌のとき、甥の仁坊のおまつりの半纏のことから、山王様のお祭りのはなしが出る。仁の両親とも日本橋生れで、亡なった母親は山王様の氏子、此家は神田の明神様の氏子、どっちにしても御祭礼には巾のきく氏子だというと、魚河岸から両国の際までは山王様の氏子だったのが、御維新後に、日本橋の川からこっちだけが、神田明神の氏子になったのだと、老父が教えてくれた。
 あたしたちは神田明神へお宮参りをしましたが、お父さんは山王様へお宮参りにいったのですかときくと、そうだといわれる。
 それからそれへと古いはなしが出る。以下は老父の昔語り――
 玄冶店にいた国芳が、豊国と合作で、大黒と恵比寿が角力をとっているところを書いてくれたが、六歳か七歳だったので、何時の間にかなくなってしまった。画会なぞに、広重も来たのを覚えている。二朱もってゆくと酒と飯が出た…

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