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青年の思索のために
せいねんのしさくのために
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「青年の思索のために」 新潮文庫、新潮社
1955(昭和30)年8月25日
入力者小島丈幸
校正者酒井和郎
公開 / 更新2015-12-28 / 2015-12-07
長さの目安約 209 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

[#ページの左右中央]


人生随想



[#改ページ]


人生と出発


人生は不断の出発

 人生は不断の出発であります。生れた時が出発であるばかりでなく、それからの刻一刻が新しい出発であります。眠る時間はそうでもなかろうという人があるかも知れませんが、それも明日を用意しつつあるという意味で、まぎれもなく出発であります。健康な眠りは健康な明日への出発を意味し、不健康な眠りは不健康な明日への出発を意味するのであります。
 こうして出発は死の間際までつづきます。たえ間なくつづきます。
 では、出発は死と共に終るかというと、決してそうではありません。人間にとっては、死もまた一つの出発であります。いや、人によっては、死こそ、その人にとって最も偉大な出発であるとさえいえるのであります。たとえば、ソクラテスが毒盃を仰いでたおれた瞬間のごとき、またキリストが十字架上で息をひきとった瞬間のごとき、世にも荘厳な、たとえようもないほど飛躍的な出発であり、永遠の生命への突入であったのであります。

小出発と大出発

 出発には小出発と大出発とがあります。小出発というのは、一生を通じての一歩一歩、大出発というのは、一生に何度かある生命の飛躍、もしくは大転機であります。
 大出発の時期と度数とは、人によって必ずしも一様ではありません。しかし、すべての人は、少くとも三度の大出発の時期を持っていると見なければなりません。その第一は出生の時であり、その第二は青年期であり、そしてその第三は死の間際であります。
 出生は、いうまでもなく、すべての出発のはじまりで、考えようでは、これほどの大出発はありますまい。しかし、この時の出発には自覚がありません。自分で出発するというよりも、むしろ他の力によって出発させられるのでありまして、これこそ全くの運であります。従って、どちらを向いて出発しようと、出発者自身には全然責任がありません。責任をとろうとしても取り得ないのであります。で、このことについては、ここでとやかくいう必要もありますまい。もし何かいうことがあるとすれば、それは、よかれあしかれその運をすなおに受けとって、その後の一歩一歩の小出発で、それをよりよく生かす工夫をしなければならない、ということだけであります。
 第三の大出発、すなわち死の間際がいかに大切なものであるかは、すでに述べたとおりでありますが、しかし、それもここでは重要な問題ではありません。というのは、死の間際の大出発はその時になってどんなにあせっても、意のままになるものではなく、実は生れてから死ぬまでの間の一歩一歩の小出発の集積によって、すでにその方向も飛躍力も決定されており、そして死んだあとでは、もう絶対に動かせないものだからであります。
 われわれにとって大切なのは、何といっても、生と死との中間にある大出発、すなわち青年期…

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