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鸚鵡
おうむ
作品ID49841
副題『白鳳』第二部
『はくほう』だいにぶ
著者神西 清
文字遣い新字旧仮名
底本 「雪の宿り 神西清小説セレクション」 港の人
2008(平成20)年10月5日
初出「新文學」1948(昭和23)年6月号
入力者kompass
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2012-03-11 / 2014-09-16
長さの目安約 46 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 その鸚鵡――百済わたりのその白鸚鵡を、大海人ノ皇子へ自身でとどけたものだらうか、それとも何か添へぶみでもして、使ひに持たせてやつたものかしら……などと、陽春三月のただでさへ永い日を、ふた昼ほど思ひあぐねた鏡ノ夫人は、あとになつて考へれば余計な取越し苦労をしたといふものだつた。よく妹の額田ノ姫王から、姉さんは冷めたい、水江の真玉みたいに冷めたい――と、からかはれる夫人であつた。それほど、冷やかなくらゐに聡明な鏡ノ夫人ではあつたが、大海人と妹の関係だけは見そこねた。いや、見そこねたどころではない。第一そんな中年の男女のあひだの愛の性質や、そんな愛のありやうが、夢にさへ想像できない夫人だつたのだ。鏡と額田とは、たうてい一つ腹ひとつ胤の姉妹とは思へないほどに、別々の世界の住み手だつたわけである。数年ののち、夫人はこの見そこなひにハッと思ひあたつて、その美しい唇を噛みしめる機会があつた。
 もつともその頃は、時勢も今とはずつと違つてゐて、夫人は世の中の姿そのものからして、いやでも二人の恋の実相をさとらされただけのはなしに過ぎない。いはばこれは、間接的なさとりである。中ノ大兄に娘時代の清らかな愛をささげつくし、人の母になつてからは律気な鎌足の内室として、べつに満足なのでも不満なのでもない、そんな分別すら心にうかばぬほどに自足した明け暮れを、これで十五年ちかくも送り迎へてゐる夫人としては、ひよつとするとこれは無理からぬことだつたかも知れないのだ。だが、それはずつと後の話である。……

    *

 鸚鵡は無事に、大海人の手もとへとどけられた。しかもそれが、思ひのほかすらりと運んだのだつた。
 まるいちにち鸚鵡を相手に、いはば心理的おにごつこをしたあげく、へとへとになつてその晩はてきめん、大海人の登場する何やら気味のわるい夢にうなされまでした鏡ノ夫人は、あくる日は朱塗りの鳥籠をさつさと居間から遠ざけて、今ではがらんとして誰にも用のない客殿の軒へつるさせたのだつたが、七つになる次女の五百里ノ娘が結句それをいいことにして、乳母の今刀自と一緒になつて、次から次へ色んな口真似をさせて笑ひころげるのだつた。その甲高い鸚鵡のこゑが、庭をわたつて、時には却つて幅をましさへしながら、一々手にとるやうに居間まで伝はつてくる。結局その日も朝から夕方まで、鏡ノ夫人は眉をくもらせながら、居ても落ちつかず立つても落ちつかぬ妙な気分で、すごすことになつてしまつた。
 これぢやたまらない――と夫人は思つた。かりにも大藤原氏の夫人ともあらうものが、まさか幼い娘を一喝したり、乳母に八ツ当りしたりして、そのもやもやした気分の解決をはかるわけには行かなかつたし、第一その鸚鵡なるものが、そんなことで中々だまる相手ではないことも、夫人は重々承知だつたのだ。では、いつそ絞め殺させてしまふか、それとも籠をひらいて、…

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