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春泥
しゅんでい
副題『白鳳』第一部
著者
文字遣い新字旧仮名
底本 「雪の宿り 神西清小説セレクション」 港の人
2008(平成20)年10月5日
初出「新文學」1948(昭和23)年1月号
入力者kompass
校正者小林繁雄、門田裕志
公開 / 更新2012-03-04 / 2014-09-16
長さの目安約 31 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 大海人は今日も朝から猟だつた。午ちかく、どこではぐれたのか伴の者もつれず、一人でふらりと帰つてくると、宮前の橿の木のしたで赤駒の歩みをとめた。
 舎人の小黒が、あわてて駈けだしてきて、手綱をおさへる。そして何か言つた。
「ほう、嶋が? 多治比ノ嶋が来てゐるのか?」
 大海人は、よくかげ口をきかれる例の神鳴り声を、小黒の禿げ頭のてつぺんへ浴びせかけると、ゆらりと地上へおり立つた。おそるおそる、といふよりは反射的に、両手をさしのべたもう一人の舎人に、まづ弓をわたす。それから肩のヤナグヒを解いてわたす。例によつて獲物はないから、ほかには何も渡すものはない。
 それなり、泥のだいぶはねかかつた行籘を、人一倍ながい脛で蹴たてるやうにしながら、宮殿の廻廊をまはつて大海人はすがたを消した。
 点々と、熊の歩いたやうな泥沓のあとが、柱廊の敷瓦のうへにつづいてゐる。その跡を追ふやうに、中途までついて来た舎人の小黒は、黒ぐろとしたその泥の色から、ふと春の香をかいだやうに思つた。
 ことしはこの飛鳥の内そとにも、めづらしく雪が多かつた。殊につい十日ほどまへ、遠智の岡ノ上に新たにおこされたミササギに、宝ノ太后と、間人ノ先后と大田ノ皇女と、――この親子三代のなきがらを合はせ葬つた日は、夜来の雪が日ねもす野山をこめて降りしきり、夜ふけてからは吹雪にさへなつて、これは何かの前兆ではあるまいかと、心ある人の胸をさわがせたほどの大雪だつた。
 その雪がいま溶けるのである。さう言へば三月の声をきいて、はや四日たつ。例年ならば神奈備の杉むらがくれに、ちらほら花もまじらうといふ時分なのだが、今年はまだまだ、斑雪の方がはばを利かせてゐる始末だ。この分では、北ぐにはまだ雪のなかだらう。近江の国もずつと北寄りの、伊香古の奥から召されてきた小黒の心に、ふつと古里の雪の深さがかげるのである。
 だが、おくれたといつても春は春だ。今しがた大海人の泥ぐつから落ち散つたばかりの、この黒光りのする、大きいまた小さい、ねつとりと水気をふくんだ、さながら湯気の立ちさうにゆたかな土くれの色。それは、やがてその黒にまじる若菜のみどりを思はせ、さくりと入れる鍬の先の、ひとりでに地面へ吸ひこまれるやうな、あの手ごたへを思ひださせる。それはまた、野べに立つ陽炎を、うつすらと紅い花のかすみを聯想させる。……
 それにしても、ことしの花はどこで眺めることになるものやら。筑紫の朝倉ノ宮から、宝ノ太后が悲しいなきがらになつて、この飛鳥へ還つて来られたのは、つい五年ほど前のことである。その前の代は、十年といふ長い歳月を、都は難波の長柄へうつされたままであつた。かうして都が飛鳥にもどつたのは、なんだか恐ろしく久しぶりなことのやうな気さへするほどだつたが、それ以来五年あまり、だんだん様子を見てゐると、どうやらこれは都がへりではなくて、さる口…

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