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南予枇杷行
なんよびわこう
作品ID4985
著者河東 碧梧桐
文字遣い新字旧仮名
底本 「現代日本紀行文学全集 南日本編」 ほるぷ出版
1976(昭和51)年8月1日
入力者林幸雄
校正者鈴木厚司
公開 / 更新2004-12-19 / 2014-09-18
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

 上り約三里もある犬寄峠を越えると、もう鼻柱[#「鼻柱」は底本では「鼻桂」]を摩する山びやうぶの中だ。町の名も中山。
 一つの山にさきさかつてゐる栗の花、成程、秋になるとよくこゝから栗を送つてくる。疾走する車の中でも、ある腋臭を思はせる鼻腔をそゝる臭ひがする。栗の花のにほひは、山中にあつてのジャズ臭、性慾象徴臭、などであらう。
 南伊予には、武将の名を冠したお寺が多い。長曽我部氏に屠られた諸城の亡命者が山中にかくれて寺号の下に安息の地を得たのだともいふ。
 中山にも「盛景寺」がある。勤王の武将河野盛景の創建、今は臨済宗である。現住僧は私の回縁者である。玉井町長を始め、数氏と共にその招宴に列した。
 食後一かごの枇杷が座右に置かれる。この辺は伊予の名物唐川枇杷の本場である。唐川枇杷も、長崎種子を根接ぎしで、播種改良に没頭してゐるので、土地の特有の影は地を掃らつて去らうとしてゐる。この枇杷は豊満な肉づきを思はしめる改良種のそれとは全く別趣だ。小粒で青みを帯びてゐる。産毛の手につくのすらが、古い幼な馴染に出会つた、懐旧の情をそゝる。ほのかに残つてゐる酸味は、今もぎたてのフレッシュを裏書きするのである。食ふに飽くことを知らぬ。南予枇杷行の感、殊にその第一日といふので深い。前途に尚黄累々たる、手取るに任せ足踏むに委する、甘潤満腹の地をさへ想見せしめる。
 この枇杷は、寺内土着の古木の産であるといふ。創建者盛景の唯一の遺跡とも見るべき枇杷風景か。

 大洲の町には、昔から少名彦命に関する伝説口碑がいろいろあつた。町の背ろ柳瀬山続きに、その神陵と目さるゝ古墳さへがある。文政年間、菅田村の神主二宮和泉、その神陵確認を訴へ出て、当局の忌避に触れ、その志を継いだ矢野五郎兵衛なる者は、却つて獄に投ぜられた事実がある。
 一体少名彦命といふ方が、どういふ事跡を持たれてゐるのか、僅に古事記、日本書紀、出雲、播磨、伊豆、伊予等各地風土記に現れた簡素な筆によつて、それが大国主命の補佐者であり、蒙昧を開拓して各地を巡遊されたといふ事位しか判然してゐない。
 最近この大洲の町をとり囲む――それがやがて口碑にいふ所の少名彦命の陵を中心にして――神南備山、如法寺山、柳瀬山、高山に出雲民族の特性とも見らるゝ巨石文化――巨石をまつり、そを神聖視する祭壇的設備――の遺跡を、余りに著るしい数で発見した。
 この巨石文化の発見は、当然少名彦命の口碑と結びつくべき運命である。大洲を中心とする一区画が巨石文化の宝庫であり、他に比類のない盛容であるのは、神代当時の重要地域および重要人物との関聯をも裏書きするのである。
 少名彦命の神陵も、この傍系によつて確認されなければならない。
 肱川の上流、菅田のほとり、荒瀬を渉らうとされた命を、川向ひの老婆が認めて、そこ危しと声をかけたにも拘らず、お向きかはりされる間もな…

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