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『劉生画集及芸術観』について
『りゅうせいがしゅうおよびげいじゅつかん』について
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「和辻哲郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年9月18日
初出「中央美術」1921(大正10)年4月号
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-12-11 / 2014-09-16
長さの目安約 10 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 自分は現代の画家中に岸田君ほど明らかな「成長」を示している人を知らない。誇張でなく岸田君は一作ごとにその美を深めて行く。ことにこの四、五年は我々を瞠目せしめるような突破を年ごとに見せている。そうしてこの成長、突破が年ごとに迫り行くところは、ただ偉大な古典的作品にのみ見られる無限の深さ、底知れぬ神秘感、崇高な気品、清朗な自由、荘重な落ちつきである。自分は正直に白状するが去年美術院の展覧会で初めてルノアルの原画を見たときにも、岸田君の不思議に美しい「毛糸肩掛せる麗子像」を見た時ほどは動かされなかった。
 が、自分はここで岸田君の画を批評しようとするのではない。ただ、君の近著の『芸術観』について一、二の感想を語ろうとするのである。この論文集において岸田君は、優れたる画家であるとともにまた優れたる「思索家」であることを示した。その思索は君の画と同じく深い洞察に充たされ、君の画と同じく不思議な生を捕えている。もとより自分はここに説かれた「思想」が岸田君の画の根柢であるというのではない。岸田君の画の根柢は、君の語をかりて言えば、君自身の「内なる美」である。「精神」である。その「内なる美」、「精神」が、線と色とをもってする表現手段によって現わされずに、――あるいはこの表現手段によって現わされ得ないものを持つゆえに、――概念と論理とをもってする他の表現手段によって現わされたとき、そこにこれらの思想が生まれたのである。だから我々はこれを、君の画と並んで存在する精神の表現と見なければならぬ。その意味でここには一人の画家の、画によって直接には現わされ得ないさまざまの優れた感情、信念、洞察などが伺われる。それは人としての岸田君の切実な内生を示すものである。が、同時にまた我々はこれを、製作家の書いた美学上の論文として、すなわち「製作の心理」を明らかにし得る可能の最も多い論文として、取り扱うこともできる。この意味でも自分はこれらの論文が深い暗示に富んだ価値の高いものであることを感ずる。それは美学者にとってよき反省の機会を与えるとともに、美術家にとっても力強い教示となるであろう。

 岸田君の暗示に富んだ無数の観察を一々紹介することは容易でない。が、美術家としての岸田君の理想・信念は、君の生活の根本の力であり、また美術家にとって最も重要な問題であるゆえに、まずそれを取り上げてみようと思う。
 画家としての岸田君の理想・信念には、「人として」の岸田君の本質的要求が投げ込まれている。我々はここに享楽的浮浪人としての画家、道義的価値に無関心な官能の使徒としての画家を見ずして、人類への奉仕・真善美の樹立を人間最高の目的とする人類の使徒としての画家を見る。もとより画家である限り、その奉仕は「美」への奉仕に限られている。しかしこの画家は「美」への奉仕が、「真」への奉仕、「善」への奉仕とともに、真実…

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