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漱石の人物
そうせきのじんぶつ
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「和辻哲郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年9月18日
初出「新潮」1950(昭和25)年12月号
入力者門田裕志
校正者米田
公開 / 更新2012-03-02 / 2014-09-16
長さの目安約 23 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 私が漱石と直接に接触したのは、漱石晩年の満三個年の間だけである。しかしそのおかげで私は今でも生きた漱石を身近に感じることができる。漱石はその遺した全著作よりも大きい人物であった。その人物にいくらかでも触れ得たことを私は今でも幸福に感じている。
 初めて早稲田南町の漱石山房を訪れたのは、大正二年の十一月ごろ、天気のよい木曜日の午後であったと思う。牛込柳町の電車停留場から、矢来下の方へ通じる広い通りを三、四町行くと、左側に、自動車がはいれるかどうかと思われるくらいの狭い横町があって、先は少しだらだら坂になっていた。その坂を一町ほどのぼりつめた右側が漱石山房であった。門をはいると右手に庭の植え込みが見え、突き当たりが玄関であったが、玄関からは右へも左へも廊下が通じていて、左の廊下は茶の間の前へ出、右の廊下は書斎と客間の前へ出るようになっていた。ところで、この書斎と客間の部分は、和洋折衷と言ってもよほど風変わりの建て方で、私はほかに似寄った例を知らない。まず廊下であるが、板の張り方は日本風でありながら、外側にペンキ塗りの勾欄がついていて、すぐ庭へ下りることができないようになっていた。そうしてこういう廊下に南と東と北とを取り巻かれた書斎と客間は、廊下に向かって西洋風の扉や窓がついており、あとは壁に囲まれていた。だからガラス戸が引き込めてあると、廊下は露台のような感じになっていた。しかしそのガラス戸は、全然日本風の引き戸で、勾欄の外側へちょうど雨戸のように繰り出すことになっていたから、冬はこの廊下がサン・ルームのようになったであろう。漱石の作品にある『硝子戸の中』はそういう仕掛けのものであった。そこで廊下から西洋風の戸口を通って書斎へはいると、そこは板の間で、もとは西洋風の家具が置いてあったのかもしれぬが、漱石は椅子とか卓子とか書き物机とかのような西洋家具を置かず、中央よりやや西寄りのところに絨毯を敷いて、そこに小さい紫檀の机を据え、すわって仕事をしていたらしい。室の周囲には書棚が並んでおり、室の中にもいろいろなものが積み重ねてあって、紫檀の机から向こうへははいる余地がないほどであった。客間はこの書斎の西側に続いているので、仕切りは引き戸になっていたと思うが、それは大抵あけ放してあって、一間のように続いていた。客間の方は畳敷で、書斎の板の間との間には一寸ぐらいの段がついていたはずである。この客間にも、壁のところには書棚が置いてあった。
 私が女中に案内されて客間に通った時には、漱石はもうちゃんとそこにすわっていた。書斎と反対の側の中央に入り口があって、その前が主人の座であった。私はそれと向き合った席に書斎をうしろにしてすわった。ほかには客はなかった。
 この最初の訪問のときに漱石とどういう話をしたかはほとんど覚えていないが、しかし書斎へはいって最初に目についた漱石の姿…

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