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夏目先生の追憶
なつめせんせいのついおく
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「和辻哲郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年9月18日
初出「新小説」1917(大正6)年1月臨時号
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2012-03-02 / 2014-09-16
長さの目安約 21 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 夏目先生の大きい死にあってから今日は八日目である。私の心は先生の追懐に充ちている。しかし私の乱れた頭はただ一つの糸をも確かに手繰り出すことができない。私は夜ふくるまでここに茫然と火鉢の火を見まもっていた。
 昨日私は先生について筆を執る事を約した。その時の気持ちでは、先生を思い出すごとに涙ぐんでいるこのごろの自分にとって、先生の人格や芸術を論ずるのがせめてもの心やりであるように思えたのであった。しかし今日になってみると、私は自分の心があまりに落ちついていないのに驚く。何を論ずるのだ。今ここで追懐の涙なしに先生の人格を思うことができるのか。ことに先生の芸術については、今新しく読みかえしている暇がない。数多い製作のあるものはおぼろな記憶の霞のかなたにほとんど影を失いかかっている。あるものはただ少年時の感激によってのみ記憶され、あるものは幾年かの時日によって印象を鈍らされている。それでなお先生の芸術を云為することができるのか。――私はあえて筆を執ろうとする自分の無謀にも驚かざるを得ない。しかも今私は二、三の事を書きたい衝動に駆られ初めた。私は断片的になる危険を冒して一気に書き続けようと思う。(もうすぐに先生の死後九日目が初まる。田舎の事とてあたりは地の底に沈んで行くように静かである。あ、はるかに法鼓の音が聞こえて来る。あの海べの大きな寺でも信心深い人々がこの夜を徹しようとしているのだ。)
 先生の追懐に胸を充たされながらなお静かに考えをまとめる事のできないのは、ただ先生の死を悲しむためばかりでない。よけいな事ではあるがここにもう一つの理由を付け加える事を許していただきたい。私は心からの涙に浸された先生の死のあとにそれとは相反な惨ましい死を迎えるはずであった。しかし先生の死の光景は私を興奮させた。私は過激な言葉をもって反対者を責め家族の苦しみを冒して、とうとう今日の正午に瀕死の病人を包みくるんだ幾重かの嘘を切って落とす事に成功した。肉体の苦しみよりもむしろ虚偽と不誠実との刺激に苦しみもがいていた病人が、その瞬間に宿命を覚悟し、心の平静と清朗とを取り返すのを見た時、私の心はいかに異様な感情に慄えたろう。……私は感謝し喜び、そうして初めてまじり気のない感情でしみじみと病人を悲しみ傷んだ。生と死の厳粛さが今日から病室を支配し初めた。夜が明ければ私は何をおいても死んで行く者を慰めるために出かけなければならない。――私は落ちついて先生を論ずるよりも、かえってこの方が先生に対する感謝を現わすに適している事を感ずる。
 ――私は頭が乱れている。書き出しからしてもう主題にふさわしくない。



 偶然であるか必然であるかは私は知らない、とにかく私は先生の死について奇妙な現象を見た。この秋、私は幾度か先生を訪ねようとして果たさず、ほとんど三月ぶりで十一月二十三日に先生を訪ね…

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