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露伴先生の思い出
ろはんせんせいのおもいで
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「和辻哲郎随筆集」 岩波文庫、岩波書店
1995(平成7)年9月18日
初出「文学」1947(昭和22)年10月号
入力者門田裕志
校正者米田
公開 / 更新2011-01-08 / 2014-09-21
長さの目安約 9 ページ(500字/頁で計算)
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本文より

 関東大震災の前数年の間、先輩たちにまじって露伴先生から俳諧の指導をうけたことがある。その時の印象では、先生は実によく物の味のわかる人であり、またその味を人に伝えることの上手な人であった。俳句の味ばかりでなく、釣りでも、将棋でも、その他人生のいろいろな面についてそうであった。そういう味は説明したところで他の人にわかるものではない。味わうのはそれぞれの当人なのであるから、当人が味わうはたらきをしない限り、ほかからはなんともいたし方がない。先生は自分で味わってみせて、その味わい方をほかの人にも伝染させるのであった。たとえばわかりにくい俳句などを「舌の上でころがしている」やり方などがそれである。わかろうとあせったり、意味を考えめぐらしたりなどしても、味は出てくるものではない。だから早く飲み込もうとせずに、ゆっくりと舌の上でころがしていればよいのである。そのうちに、おのずから湧然として味がわかってくる。そういうやり方が、先生と一座していると、自然にうつってくるのであった。そのくせ今残っている感じからいうと、「手を取って教えられた」というような気がする。
 先生の味解の力は非常に豊富で、広い範囲にわたっていたが、しかし無差別になんでも味わうというのではなく、かなり厳格な秩序を含んでいたと思う。人生の奥底にある厳粛なものについての感覚が、太い根のようにすべての味解をささえていた。従って味の高下や品格などについては決して妥協を許さない明確な標準があったように思われる。外見の柔らかさにかかわらず首っ骨の硬い人であったのはそのゆえであろう。
 何かのおりに、どうして京都大学を早くやめられたか、と先生に質問したことがある。その時先生は次のようなことを答えられた。自分は江戸時代の文芸史の講義をやるはずになっていたが、いよいよ腰を据えてやるとなると、自分の好きな作品や作家だけを取り上げて問題にしているわけには行かない。御承知の通り江戸時代の戯作者の作品には実にくだらないものが多いが、ああいうものを一々まじめに読んで、学問的にちゃんと整理しなくてはならないとなると、どうにもやりきれないという気がする。それよりも自分の好きなものを、時代のいかんを問わず、また日本と外国とを問わず、自由に読んでいたい。そういうわけでまあ一年きりで御免をこうむったわけです。
 先生のあげられたこの理由が、先生の大学に留まらなかった理由の全部であるかどうかは、わたくしは知らない。しかしもしそれだけであったならば、まことに惜しいことをしたとわたくしはその時に感じた。先生が好きなものを自由に読んでいられても、江戸時代の文芸史の講義ができなかったはずはない。いわんや先生の目から見てくだらない作家や作品は、ただ名前をあげる程度に留めておき、先生が価値を認められる作家や作品だけを大きく取り扱ったような文芸史ができたなら…

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