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ベエトォフェンの面
ベエトォフェンのめん
著者
文字遣い新字新仮名
底本 「偶像再興・面とペルソナ 和辻哲郎感想集」 講談社文芸文庫、講談社
2007(平成19)年4月10日
初出「科学と文芸」1916(大正5)年4月
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2011-05-13 / 2014-09-16
長さの目安約 5 ページ(500字/頁で計算)
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本文より



 人生が苦患の谷であることを私もまたしみじみと感じる。しかし私はそれによって生きる勇気を消されはしない。苦患のなかからのみ、真の幸福と歓喜は生まれ出る。
 ある人は言うだろう。歓喜を産む苦患は真の苦患でない。苦患の形をした歓喜は真の歓喜でない。お前は苦患をも歓喜をも知らないのだ。お前の体験はそれほどに希薄だ。
 しかし私は答える。歓喜を産む可能性のない苦患は「生きている人」にはあり得ない。苦患の色を帯びない歓喜は「生に触れない人」にのみあり得る。そのような苦患と歓喜とは、息をしている死人や腐った頽廃者などの特権だ。
 苦患は戦いの徴候である。歓喜は勝利の凱歌である。生は不断の戦いであるゆえに苦患と離れることができない。勝利は戦って獲られるべき貴い瞬間であるゆえに必ず苦患を予想する。我らは生きるために苦患を当然の運命として愛しなければならぬ。そして電光のように時おり苦患を中断する歓喜の瞬間をば、成長の一里塚として全力をもってつかまねばならぬ。
 苦患のゆえに生を呪うものは滅べ。生きるために苦患を呪うものは腐れ。



 ショペンハウェルの哲学は苦患の生より生い出る絶妙な歓喜への讃歌であった。
 生を謳歌するニイチェの哲学は苦患を愛する事を教うるゆえに尊貴である。
 苦患を乗り超えて行こうとする勇気。苦患に焔を煽られる理想の炬火。それのない所に生は栄えないだろう。



 私は痛苦と忍従とを思うごとに、年少のころより眼の底に烙きついているストゥックのベエトォフェンの面を思い出す。暗く閉じた二つの眼の間の深い皺。食いしばった唇を取り巻く荘厳な筋肉の波。それは人類の悩みを一身に担いおおせた悲痛な顔である。そして額の上には永遠にしぼむことのない月桂樹の冠が誇らしくこびりついている。
 この顔こそは我らの生の理想である。



 苦患を堪え忍べ。
 苦患に堪える態度は一つしかない。そしてそれをベエトォフェンの面が暗示する。苦患に打ち向こうて、苦患と取り組んで、沈黙、静寂、悲痛の内に、苦患の最後の一滴まで嘗め尽くす。この態度のみが耐忍の名に価するだろう。
 苦患に背を向け、感傷的に慟哭し、饒舌に告白する。かくしてもまた苦患の終わりを経験することはできる。しかしそれを真に苦しみに堪えたと呼ぶことはできない。
 卑近の例を病気に取ってみよう。病苦は病の癒えるまで、あるいは病が生命を滅ぼすまで続く。言を換えて言えば、病苦は続く間だけ続く。病気に罹った以上は誰でも最後まで苦しみ通すのである。耐忍するもしないもない。しかも我々は病苦に堪え得る人と堪え得ぬ人とを区別する。同じ病苦を受けるにもそれほど異なった二つの態度があるからである。
「しかり」と「否」と。受ける態度と逃げる態度と。生きる人と死ぬ人と。これがまず人間の尊卑をきめるだろう。



 生の苦患に対する態度に…

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