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年譜
ねんぷ
作品ID49921
副題世界文学大系58 カフカ
せかいぶんがくたいけい58 カフカ
著者原田 義人
文字遣い新字新仮名
底本 「世界文学大系58 カフカ」 筑摩書房
1960(昭和35)年4月10日
入力者kompass
校正者米田
公開 / 更新2011-03-14 / 2016-02-22
長さの目安約 15 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

一八八三年

七月三日、当時オーストリア帝国領であったプラーク(現在のチェコ首都プラハ)に生まれる。一家はチェコ土着のドイツ語を使うユダヤ系商人であった。父ヘルマン・カフカはシュトラコニッツ在の小村に生まれ、奮闘してプラークで手広く小間物卸商を営むにいたった人物。この父は、生来敏感でこまやかな気質のフランツの感嘆の的であったが、同時に嫌悪と違和感をも抱かずにはいられなかった。母ユーリエ・カフカ(旧姓レーヴィー)は、プラークの相当な家柄の出身で、スペインやアフリカで成功した兄弟がある。母の異母弟の一人はトリーシュで田舎医師となったが、風変りな人物で、カフカにかなりな影響を与えたと思われる。一家の住居はカフカが生まれてからプラーク市内の一画で六回も変ったが、一九〇七年からやっと固定した。

一八八五年
二歳

九月、弟ゲオルク生まれる(生後半年で死亡)。

一八八七年
四歳

九月、弟ハインリヒ生まれる(生後一年半で死亡)。

一八八九年
六歳

市内フライシュマルクトの小学校へ入学。九月、妹エリー(ガブリエーレ)が生まれる。

一八九〇年
七歳

九月、妹ヴァリー(ヴァレーリエ)が生まれる。

一八九二年
九歳

十月、妹オトラ(オッティーリエ)が生まれる。カフカは妹たちと比較的年齢の差があったためか、あまり親しまなかったが、この末の妹オトラとは成人後気持が近かった。三人の妹はのちにみなナチスの強制収容所に投じられ、殺された。

一八九三年
十歳

市内アルトシュタットの国立ドイツ・ギムナジウムに入学。一九〇一年までの在学期間中、クラスでもよくできる生徒の一人であった。一八九八年(十五歳)のころ、何人かの親しい友人がいたが、そのうちとくにオスカー・ポラクとの交友は一九〇四年初めまでつづき、少年時代のカフカに影響があった。ポラクはのちに重要な美術史家となったが、第一次大戦で戦死した。カフカが高校時代に愛読した文学者は、ゲーテ、クライスト、グリルパルツァー、シュティフターなどであった。

一八九九年
十六歳

「クンストワルト」という芸術雑誌に影響を受けるところが大きかった。このころ、早くも初期作品を書いたが、失われた。

一九〇〇年
十七歳

夏季休暇をロツトクで過ごす。ニーチェを読み、その影響はしばらくつづいた。

一九〇一年
十八歳

七月、ギムナジウム卒業試験(大学入学資格試験)に合格。夏期休暇に単独で北海のノルデルナイ、ヘルゴラント両島へ旅行。秋からプラーク大学(カルル・フェルディナント皇帝大学)に入学。初め二週間だけ化学を学んだが、次に法学を選んだ。父の希望もあったようである。

一九〇二年
十九歳

夏学期にはアウグスト・ザウアーという教授の下でドイツ文学を学んだ。ことにヘッベルを研究した。冬学期からミュンヘン大学でドイツ文学研究をつづける計画を立て…

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