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安吾新日本風土記
あんごしんにほんふどき
作品ID49951
副題03 第二回 富山の薬と越後の毒消し≪富山県・新潟県の巻≫
03 だいにかい とやまのくすりとえちごのどくけし≪とやまけんにいがたけんのまき≫
著者坂口 安吾
文字遣い新字新仮名
底本 「坂口安吾全集 15」 筑摩書房
1999(平成11)年10月20日
初出「中央公論 第七〇年第三号」中央公論社、1955(昭和30)年3月1日
入力者砂場清隆
校正者塚本由紀
公開 / 更新2014-12-07 / 2014-11-14
長さの目安約 47 ページ(500字/頁で計算)

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本文より

発端

 先月日向を旅行したとき、宮崎市内の鉄道沿線に「クスリは富山の広貫堂」という広告板を見た。富山の薬は販売員が各地の家庭を一々訪問して薬袋を預けて行く特別な商法であるが、南の果の日向にまでその行商の足がのびているのかと思うと、本拠地を訪問したい意欲がうごいたのである。
 私もずいぶん富山の薬をのんだものだ。ちょッとした病気になる。壁や柱に富山の薬袋がぶらさがっているとつい飲むようになるのは人情だ。カゼ薬。よく胃痛腹痛をやったから熊の胆と赤玉。通算すれば相当の量をのんでいる。販売員が年に一度やってきて、袋をしらべ、薬をつめかえ、去年の代金を受けとって行くのも目になれた姿だった。そんなわけで富山の薬は私の生活史に浅からぬ因縁もあるものだから、戦争前にふと古本屋の店頭に「富山売薬業史資料集」という三冊つづきの本をみつけて、特別の必要があるわけでもないのに買いもとめたこともあった。もっとも先年税務署に本を持って行かれてしまったので、いまは手もとにない。
 行商は商業の最も原始的な形態だ。現今でも押売りという行商が横行しているが、富山の薬は一風変っていて、代金は後廻しだ。まず薬袋を預けて行く。翌年見廻りにきて、のんだ分の代金をうけとって行くという仕組みである。代金後払いというところが一般の行商と類を異にしているから、どこの家庭でも押売りとは区別して考える。一つは歴史のせいもあろう。夏の金魚売りなぞと同じように、なくてはならぬ土地の風物化している親しさもあって、関東の農村では村々の入口に「押売りの村内立入りお断り」という高札がかかげてあるが、富山の薬売りと越後の毒消し売りは特別だ。毒消し売りは現金引き換えであるが、これもその歴史と、売り子が女という点に親しみがあるのであろう。毒消し売りはちょッとした美人系で、その伝説によっても名物化しているようだ。
 私は越後の生れだ。ふるさとは書きづらいもので、よく云うぶんにはキリがないし、欠点は知りすぎているから悪く云うぶんにもキリがない。過不足なく見たり書くにはヤッカイなシロモノだ。だからこの仕事では敬して遠ざけていたのであったが、富山の薬と思いついた瞬間に、ついでに越後の毒消しもやるとふるさとが好便に処置できるということに気がついた。
 越後の女はよく働く、と云われている。しかし、よく働く女は越後女とは限らない。日本ではどこの土地でも女が牛馬なみに働いているのである。
 越後女の特例といえば、越後には農村にすらも芸者がいる。いわゆるダルマとはちがって、むろんその方の勤めもするが、立派に三味線も踊りもできる芸者である。そして越後の芸者は総じて「私は越後の生れです」ということを誇りとしているのである。他国では誰しも生れた土地で芸者や女郎にでたがらないものだ。ところが越後では土地の女でないと芸者や女郎のハバがきかない。親子代々芸…

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