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弦斎の鮎
げんさいのあゆ
作品ID49972
著者北大路 魯山人
文字遣い新字新仮名
底本 「魯山人の美食手帖」 グルメ文庫、角川春樹事務所
2008(平成20)年4月18日
初出「星岡」1935(昭和10)年
入力者門田裕志
校正者noriko saito
公開 / 更新2010-01-08 / 2014-09-21
長さの目安約 3 ページ(500字/頁で計算)

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本文より




 毎年のことながら、春から夏、秋と昔からいう年魚の季節となる。
 わたしの舌は、あゆを世間で騒ぐほどうまいものだとは思っていないが、なんとなし高貴な魅力があってうれしいものだ。川魚のうちではあゆが有数の美味であること、それに優美な姿であることにもちろん異存はない。なんといっても四月から当分の間、あゆが王座を占める一つの理由は、この季節には、これに匹敵するような気の利いたうまい魚が他にないからであろう。川魚にして生臭くないということも、あゆをして今日の高名をなさしめた第二の理由であろう。あゆの香気なども、今さらいうだけかえってヤボなことであるが、やはり、この点も大いにあずかって力があろう。
 あゆにかぎらず、美味の名を取った食べ物について、案外世人がその良否をわきまえず、従ってその本格的な食い方なども心得ていないという場合が多いように思われる。それも美味美食ということにさほど興味や関心を持たぬひとであるなら、とやかくいう筋合ではないが、美食家とか食通とかいわれて、著書など世間に堂々と発表しているひとびとに、それが往々あるのだから、まったく心細い次第だ。
 例えば、あゆについていうなら、『食道楽』の著者村井弦斎などのあゆ話にはこんなミスがある。「東京人はきれい好きで贅沢だから、好んであゆのはらわたを除き去ったものを食う」ここが問題なのだ。東京人がきれい好きだからわたを抜いて食うというのは大間違いであり、東京人がきれい好きというのは、この場合、余計なことだ。
 要するに、村井弦斎が東京人かどうか知らぬが、彼のあゆ知らずを物語っている。はらわたを除き去ったあゆなどは、ただのあゆの名を冠しているだけのことで、肝心の香気や味を根本的に欠くので、もはや美味魚としてのあゆの名声に価しないものである。
 これはたまたま当時、急便運送不可能の都合上、東京にはらわたがついたままのあゆがはいり得なかったまでのことで、弦斎の味覚の幼稚さを暴露したものである。今日食道楽といわれているひとの中にも、ずいぶんこの種のひとがいる。彼らの著書をみれば一目瞭然である。一般的にいえば、彼らの著書の内容は、辞書の受け売りや他人の書物のつぎはぎで、著者自身の舌から生み出された文章はまったく稀である。
 とは申しても、素人にはとんと見当のつかぬものが多い。中には、自分でろくに食ってもいない食品の味にして、とやかく述べているものもある。かような書物を体験談として真に受け、その耳学問に傾聴するひとがあるかと思えば、また、いつかのそのインチキを受け売りするひともある世の中だ。



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